投稿者 異邦人 日時 2002 年 11 月 06 日 23:12:34:
回答先: チベットに何故に留学をしたのでしょうか? 投稿者 異邦人 日時 2002 年 10 月 30 日 01:04:52:
|> アダムスキーの宇宙哲学について関心を持っています。特に彼が老子の生まれ変わりであるというお話を聞いて、アダムスキーと東洋哲学との繋がりについて調べています。一般的にキリスト教との関係についての言及は多くコメントされていると思われますが、東洋哲学の特に仏教との関係性についてコメントされている方は少ないととても感じるのです。
アダムスキーの著作を読みますと、側近の方々が、アダムスキーはその過去世において、中国に於いて「老子」として活躍をされていてそのようなことから、アダムスキーは中国的なものに親しみを感じていたと漏らしていたというコメントを以前何かの書籍で読んだことがあります。老子と言うと一般的には「無為自然」や「道」について説いた人と捉えられておりますが、経典の中には、また別な角度から「老子」のことについて述べられています。たとえば、日蓮大聖人の御書の中の開目抄の始めには「而りといえども過去未来をしらざれば父母・主君師匠の後世をもたすけず不知恩の者なり・まことの賢聖にあらず、孔子が此の地に賢聖なし西方に仏図という者あり此聖人なりといぬて外典を仏法の初門となせしこれなり・・・・・止観に云く「我れ三聖を遣わして彼の真丹を化す」等云云。弘決に云く「清浄法行経に云く、月光菩薩彼に顔回と称し、光浄菩薩彼に仲尼と称し、迦葉菩薩彼に老子と称す。」と示されており、ここでは、老子とは釈迦が中国の衆生を教化するために三人の聖人を使わせて、その聖人たちが中国に転生して、仏教が中国に広められるための基礎を造らせたとあり、その中で迦葉菩薩と云う方が中国に生まれ変わって老子と称したと述べられているのです。アダムスキーが老子の生まれ変わりということであれば、その老子とは、もともとは釈迦が遣わした三人の聖人の一人であり、この生命の転生輪廻と過去世の姿を信じるのであれば、老子アダムスキーは、過去において釈迦と出会っている人であり、釈迦の遣いとして中国に生まれ変わった人であり、このことを信じるのであれば、アダムスキーは内面に釈迦との記憶を持つ迦葉菩薩の生まれ変わりの人と言えるかもしれません。そしてその迦葉菩薩という方が、現代社会に対して過去の宗教経典の世界とは、実は宇宙的視点に立った世界であるということを伝えたということになるかもしれません。もちろん、このようなことは、今昔物語の文学の域を出ない一つの信仰の世界となってしまいますが、このような視点を持ってアダムスキーを通して過去の経典の世界を、現在の寺院の僧侶とは異なった角度で経典の世界を捉え直すことが可能となってきます。たとえば、山本佳人という人が「仏典とUFO」と云う書物を書いていますが、過去の経典の世界は、現代の僧侶の説く世界と異なって、アダムスキーが示した他の惑星に住む人々を含む宇宙的広がりを持つ世界に近かったのではないでしょうか。現代日本の宗教団体や僧侶の人々は、アダムスキーの示した宇宙的な世界観を受け入れをされておりませんが、もともとの経典の世界には、人天界の世界や諸天として示されていますし、その中の諸天である天界とは、具体的には、他の惑星に住む人々と言えると思われるのです。そしてそのような他の惑星の天界の人々が、釈迦の説法を聴くために地球と呼ぶ娑婆世界に到来したということになるかもしれません。