投稿者 雨鈴 日時 2007 年 4 月 23 日 20:51:47:
回答先: 反復思念はア哲学に反するのか 投稿者 スターダスト 日時 2007 年 4 月 23 日 16:29:46:
|> 反復思念はアダムスキー哲学に反するのでしょうか?
|> 私は、ポマロイ夫人がアダムスキーから反復思念を教わっていたと考えています。ポマロイ夫人が日本での講演でそのような旨をのべているからです。
|> お考えを皆様からお伺いしたいところです。
|> ※もちろん、誤った集中になってはいけませんし、明確なビジョンを描いて、スっとリラックスして想念をリリースしてしまうことも大事なのですけれど。
反復思念がどういうものか詳しく知りませんが・・
例えばマインドコントロールに掛かって、誤った考えから抜けられずにいる人、
「無くて七癖」と言われるような癖を克服したいと願っている人、
このような人の場合は反復思念は有効だと思います。
動き続ける何かの動きの方向を変えるには、一定の力を加える必要がありますので。
また、運動トレーニングの一環としてのイメージトレーニングなどもあります。
私が思うに、何かのトレーニングの一環として行う「反復××」なら問題ないと思いますし、
実際、多くの分野で使われて役に立っています。
しかし、ビジョンのはっきりしない、神秘的な何かを含むような「反復××」の場合、
どのような結果になるかは予測できません。
疲れや緊張を「反復××」で取り除くことは可能だと思いますが、いつまでも
[疲れ・緊張] → [反復××] → [リラックス]
を繰り返していては意味がありませんし、「反復××」の効能もだんだん薄れてしまいます。
そこで、一歩進んで、疲れ・緊張の起こる理由を見抜いて、「反復××」の助けを借りずに
リラックスでいられる方法を考えていくのが、一つの道筋でしょうか?
反復思念とアダムスキー哲学とは直接的には関係ないと思いますが、
利用できる場合には「反復××」を使用してもかまわないと思います。
問題があるとすれば、「反復思念はアダムスキー哲学に反するのでしょうか?」
という疑問を抱えながら、日々反復思念を励んでいることだと思います。
明確なビジョンが無いのに日々反復思念を繰り返すなんて私にはとてもできません。
人それぞれに違いがあると思いますが・・・。
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