投稿者 雨鈴 日時 2007 年 4 月 25 日 05:49:56:
回答先: Re: 反復思念はア哲学に反するのか 投稿者 雨鈴 日時 2007 年 4 月 23 日 20:51:47:
アダムスキー哲学もしくは生命の科学とは何か。
○自然や身の回りの様々な現象の探求
○自己のあり方や社会のあり方の探求
大雑把な分け方ですが、今までの自然科学の目的と同じ種類のものです。
違いがあるとすれば、探求する手段として「意識的な洞察力(直感)をどこまで信用するか?」
ということぐらいでしょうか。
「人間とは何か? 意識とは何か?」
この問題は簡単に答えることが出来ないような難問ですが、理解の進歩というのは可能だと思います。
人間や意識に対する理解力の進歩に応じて、自然科学のあり方を見直すのは当然のことです。
惑星の運行の仕組み。
地球上の生命の営みと相互関係。
動物や植物や昆虫、海や森や川のそれぞれの役割と相互関係。
探求と理解から得られる、生命に対する新しい概念。
身近な問題なら
自然環境の破壊
国際紛争
病気
貧困
社会的犯罪
教育のあり方
格差
いじめ
などなど・・・
探求する対象は無数にあります。
なぜ起こるのか?
今までの自然科学の欠点は何か?
改善するためにはどうすればよいのか?
例えば、いじめの問題は以前からずっと続いてきました。
もちろん日本だけではありません。
ある場合は、いじめた人間を罰しました。
規範教育も行われました。
いじめた人間を罰しないという取り組みもありました。
命の授業といわれるのもありました。
生徒どおしの横のつながりを強くするというのもありました。
試行錯誤の道が続いてきたわけです。
それでも、いじめは続いています。
「不平・不満・恨み」がいじめの原因だと考えるのが普通ですが、
よく考えてみれば社会全体がそれらの原因をつくり出しているわけで、
教師だけがいくら頑張ってもいじめは無くならないわけです。
レッテルという問題もあります。
自分に責任があったとしても、犯罪者と見なされた人間は、不平・不満・恨みから
逃れることはできません。
犯罪者を罰しなければ、犯罪に対する抑止力を失いますが、
同時に、人間が不平・不満・恨み(犯罪の原因)から脱出する機会は生まれます。
いじめ以外でもどの問題であっても探求していくと、今までの概念とは違った新たな
理解が生まれます。
それが人間の洞察力に新しい風を生み出すわけです。
「直感力をどのようにして養うのか?」という問いに対しては、
「関心」というものがありました。
何かの問題に取り組むというのは、その問題に対する関心を高めます。
「反復思念」というのもその一環としてなら、役に立つと思います。
長い文章になりましたが、そんなところでヤンス。
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