投稿者 松本 日時 2001 年 2 月 26 日 23:08:04:
回答先: 活性酸素 G 投稿者 デヴィリン 日時 2001 年 2 月 25 日 22:12:06:
|> ところで雲に覆われている金星から紫外線の強い
|> 地球に来ている金星人はなにか活性酸素対策を
|> 打っているんだろうか?
|> 松本さん[HELP
∇活性酸素対策については、具体的な方法はわかりま
せんが、細胞の持つ無限の可能性を考えると、それ
ほど難しいことではないようにも思えます。
参考になるかどうかはわかりませんが、以下にその
一部を紹介した記事がありましたので。
「生命とはなにか−細胞の驚異の世界;ボイス・
レンズバーガー,青土社,1999年,
(Life Itself:Explorting the Realm of the Living
Cell,New York,Oxford University Press,Inc.1996)」
”3 生命の息吹,細胞の頭脳”より
・細胞の運動性に関するさまざまな研究を考察して
みると、細胞は、多くの場合、それぞれ特定の運動
を発現させているという、明白な、だが、深い意味
をもった事実が浮かび上がってくる。たとえば、
「場面一」で観察したマクロファージ(大食細胞)
は、目的もなくうろつきまわったりしないで、獲物
を見つけだしてむさぼり食ってしまう。胚の中の細
胞は、発生の最初期において生命体の中で占めてい
る一つの部位から、胎児の体内において固有の役割
を果たすべき部位へと滑るように移動していく。
皮膚細胞は、傷口を癒すために外界にさらされてい
る表皮まで這いだしてきて、そこで新たな層を形成
する。いずれの場合においても、細胞は、まわりの
環境から受け取るシグナルに適切に反応することに
よって組織化された行動を示している。細胞は、
細胞内のいたるところで協力して作用している
アクチンとミオシンのメカニズムによって、一つの
方向に進んでいくものと思われる。そうしたなんら
かの意味合いにおける共同作用的なメカニズムが働
いていなかったとしたら、細胞の各部は、それぞれ
思い思いの方向に動いていってしまうに違いない。
そうした細胞は、我と我が身を引き裂いてしまうと
いう悲惨な結果をひきおこしてしまうほかない。
その種の考察と推測は、それだけを取り上げてみ
れば、単純なものだが、それが内包している意義は
深遠である。それぞれの細胞は、環境に関する情報
を取り入れて目的にそって反応することにより、這
いまわることができる能力を、細胞の内部において
共同作用的に機能していると思われる手段によって
発揮しているからである。
「これは知性の一形態であって、それゆえにこそ、
細胞にはコントロールセンター、つまり、脳が必要
だと私は考えています」とシカゴのノースウェスタン
大学医学部のギュンター・アルブレヒト・ビューラー
はいう。アルブレヒト・ビューラーは、かなり以前に
物理学から転向した細胞生物学者であって、生命の
問題にアプローチしようとしているのだが、主流を
なしている細胞生物学者たちは、それを、「細胞生
物学の埒外」であるとみなしている。だが、その
一方で、少なくとも刺激的であると考える人たちも
いるし、その数は少ないとはいえ、予見的であると
評価している人たちさえいないわけではない。
「ほとんどの細胞生物学者たちは、顕微鏡のも
とでどのようなものを目にしたにせよ、細胞の内部
の構造に関心をもっているだけです。けれども、
私が言いたいのは、それは、必ずしも重要な事柄で
はないということなのです。重要なのは、細胞全体
に首尾一貫した行動をとらせるために細胞の内部
でどのような情報処理がおこなわれているかという
ことなのです」。こうした問題設定は、コンピュー
タを、ハードウェアを分析することによって理解し
ようとする試みになぞらえることができるかもしれ
ない。コンピュータのチップ、キーボード、ディスク
ドライバーの形は、コンピュータが実際におこなって
いることを、ほとんど何一つとして明らかにしては
くれない。それを理解しようとすれば、コンピュータ
に入ってくる情報と、それが内部をどのようにして
行き来して処理され、どのような結果が生みだされて
いるかを探求しなければならない。
アルブレヒト・ビューラーは、細胞がどのように
して環境についての情報を取り入れ、それに反応
しているかを理解しようとして、培養皿の中の細胞
の運動能力について数多くの実験をおこなっている。
その結果、細胞は、動物が一般的に示す行動と同じ
ように神秘的な方法で行動しているという事実を
発見している。たとえば、アルブレヒト・ビューラー
は、マウスの体内から摘出した細胞がごく微細
な迷路の中でどのような行動を示すかを、すでに
実験している。アルブレヒト・ビューラーは、細胞
よりもはるかに小さな金の粒子のフィルムでスライ
ンドグラスをコーティングし、次いで、ちっぽけ
な金の粒子を掃いて、粒子のない道筋を、都市の
碁盤目道路のように縦横に引いていった。
そうした迷路に投げ込まれた細胞は、金の粒子
が不活性物質であってなんら毒性をもっておらず、
細胞にとってその大きさといえば、私たちとの対比
でいえば小石ほどにもあたらないにもかかわらず、
「碁盤目道路」にそって動くことを本来的に好むの
ではないかと思わせる行動を示した。事実、そう
した選択上の指標がない場合、細胞は、金の粒子
によってびっしりおおわれた表面を無頓着に這いま
わった。マウスの細胞は、金の粒子を敷きつめた
表面を、粒子を巻き込みながらあちこち動きまわっ
たので、その後には鮮明な一本の軌跡ができあがっ
た。だが、碁盤の目にそって道筋をつけておいた
迷路においては、細胞は、道筋にそって動くことを
好むという行動を示したのである。いくつもの
細胞は、一本の道筋にそってまっすぐ這っていき、
交差点にさしかかると、いずれかの方向に曲がる
のか、それとも、これまでと同じようにまっすぐ
進むのかを決定をする前に、ためらいがちに三つの
道筋に探りをいれ、それぞれの選択肢を確かめる
という行動を示したのだ。
「これは、単なる自動的な行動ではありません」
とアルブレヒト・ビューラーはいう。「細胞は、
まず、それぞれの可能性に探りを入れてからでない
と進路を決定しようとはしないのですが、これは、
知性の一つの形態を働かせているということを意味
しています。細胞は、なんらかの手段によって、
環境についての情報を取り入れ、それを処理してい
る。細胞は、進路について無作為的に動きまわっ
ているわけではないのです」。
ここが肝心な点であるとアルブレヒト・ビュー
ラーはいう。細胞をいくつかの小片に引き裂いたと
しても、そうした欠けらは、しばらくのあいだは、
たとえちっぽけであるとしても、細胞そのものと
変わらないかのように、それぞれ自力でそこいらを
這いまわる。個々の欠けらは、自動的に行動する
ことができる。だが、それぞれの欠けらは、細胞
の中で所定の位置を占めると、そうした自動的な
行動を示すことはない。それは、「中央司令室」
とでも呼ぶべきところから出されている指示に従う
のである。アルブレヒト・ビューラーは、そうした
メカニズムを細胞の「頭脳」と呼んでいるのだが、
細胞研究に携わっている科学者たちを狼狽させ
ないではおかない概念である。
アルブレヒト・ビューラーが「頭脳」というと
き、それは、細胞核やその中に含まれる遺伝子の
ことを意味しているわけではない。遺伝子は、細
胞の化学的な、また、行動上の可能性を支配する
情報の貯蔵庫ではあるが、本質的には、細胞の具
体的な行動に関してはそれほど積極的な役割を演
じているわけではないと多くの生物学者は考えて
いる。それどころか、たとえ細胞核を取り出したと
しても、細胞は通常の行動を続け、環境から発信
されるシグナルに適切に反応することができる。
細胞は、ある種のタンパク質を消費しており、
そうしたタンパク質を新たに作りだそうとすれば、
その設計図ともいうべき遺伝情報を必要としている
ので、遺伝子をもっていない細胞は、いずれは
死んでしまうとはいえ、それまでの行動に重大な
支障をきたすわけではない。
細胞の頭脳、つまり、細胞の行動上の司令長官
であるとともに知性の源は、中心体と呼ばれている、
複雑でごくわずかしか理解されていない構造の中
にあるとアルブレヒト・ビューラーは推測している。
中心体は、一般的には、セル・センターと呼ばれ
ているのだが、ほとんどの細胞の中で細胞核の近く
に位置を占めており、微小管によって形成されて
いる細胞骨格の部分の中心点をなしている。
・アルブレヒト・ビューラー自身、細胞がその行動
を制御する中枢メカニズムをもっているという自説
を証明できないことを認めている。だが、彼は、
この問題を解くカギをにぎっているのは、中心体
の内部にあるきわめて奇妙な外形をもった二つの
構造体なのではないかという推測を可能にする微かな、
だが、興味をそそられる徴候を発見している。こう
した構造体は「中心小体」と呼ばれており、円筒形
をなしているのだが、そのそれぞれが、まるで鉛の
パイプを横に溶接したかのような形状をもっている。
それぞれのパイプは微小管にほかならず、これは、
モーター分子であるキネシンが積荷の輸送に使用し
ているネットワークを形成している微小管と構造
上には違いはない。
・「こうした普遍的なデザインは、進化の偶然の
産物であるはずがありません」とアルブレヒト・
ビューラーはいう。「そうしたものが形成された
からには、それに見合うだけの目的がなければなり
ません」
これは、細胞生物学という学問分野における飛躍
的な思索の最たるものの一つだといえるかもしれ
ないが、アルブレヒト・ビューラーは、中心小体は
細胞の眼ではないかと推測している。彼は、一対
の中心小体は、ほかの細胞が発散する微かな赤外線
シグナルのような電磁波の放射の点光源を「見る」
のに、まさにぴったりの幾何図形的構造をもって
いると解釈している。
・それでは、細胞は、こうした情報をどのようにし
て処理しているのかということになると、それは
まったくわからないことをアルブレヒト・ビューラー
は認めているのだが、培養皿の底を這いまわっ
ている細胞について、細胞生物学者たちがごく普通
に目にしている光景を引証する。つまり、二つの
細胞が互いに一定の距離まで近づいてくると、細胞
は、しばしば、進路を変えて互いに相手に向かっ
て進んでいく。しかも、しばしば、二つの細胞は、
それぞれ、素早く波状縁や仮足を相手に向けての
ばすのだ。細胞は、なんらかの手段によってお互い
の存在を認めることができるのではないかといっ
た考え方にはけっして根拠がないわけではない。
二つの細胞が出合うと互いに少しばかり触れてみる
のだが、次いで、常にといっていいほど、後ずさ
りして方向を変えて分かれていってしまう。
中心小体と、それに近接して放射状に伸びてい
る微小管は、また、生命現象のなかでもその説明が
おそらくもっとも困難であると思われる意識とか
かわっている可能性があるのではないかと推測され
ている。こうした考え方は、あくまでも推論の
枠内にとどまるものとはいえ、たとえば、近年、
DNAの二重螺旋構造の共同発見者の一人である
フランシス・クリックと、通常はブラックホール
や相対性理論と取り組んでいる物理学者である
ロジャー・ペンローズのようなまったく共通点の
ない科学者たちも、また、この種の細胞小器官が
意識の作用因ではあるまいかと推論している。