投稿者 純 日時 2002 年 10 月 15 日 01:09:33:
読書爺あつしさん、コメントと抜粋資料をありがとうございました。
他の方からもご指摘いただきましたが、「金星、土星探訪記」の中には、アダムスキー氏が臨死体験について少し言及した個所もありまして、人間は死の直前に一瞬気分が立ち直って「美しいものを見た」などということがありますが、それは心が最後の瞬間は静まり返って遠方の景色を見てそれを語るということです。
臨死体験なる言葉が初めて使われたのは、おそらく1975年頃にレイモンド・ムーディ博士が調査例を発表したころかと思いますので、それ以前は体験者は口を閉ざしていたのか、もしくは医学の進歩により蘇生する人が近年増えたせいかはわかりませんが、少なくともアダムスキー氏の頃は社会的にほとんど話題にはなっていなかったと思います。
アダムスキー氏が「遠方の景色を見る」と語ったのは、文字通りの解釈をすれば、脳内幻覚やマインドの創造物または記憶の映像というよりも、遠隔透視(リモートビューイング)のように感じますが、心が静まり返った時に起こることから、一般人でも臨終の時は一種の超能力を発揮しやすい状態にあるのではないかと感じます。ですから、親しい人の枕もとに姿を見せるバイロケーションや虫の知らせ(テレパシー)を送ることができるのではないかと思います。
ただ、アダムスキー氏の言う「遠くの景色」とは転生先の風景のことなのでしょうか?もしそこが進化した惑星であれば、この世(地球)のものとは思えない美しい景色かもしれませんが。
臨死体験者の証言をいろいろと読むと、私は彼らの体験した意識状態が
アポロなどの宇宙空間体験者の意識体験と類似するのを感じました。
無条件の偉大な愛を感じたことがもっとも共通する点です。
臨死体験においては、これまでの人生が走馬灯のように回想されるそうですが、それらは自分の視点ではなく、自分の行為によって引き起こした周囲の人の感情を体験させられるそうです。例えば戦争で敵を射殺した人は、相手の痛みよりも、突然命を奪われた悲しみと、残された家族の悲しみを感じ、親不幸をした人は親の感情を体験するそうです。そして「愛とは相手の立場になってあげられること」だと悟り、蘇生後は愛深い性格に換わる人が多いそうです。
これらが自然の摂理としての脳内幻覚だとすれば、それはそれで人間の肉体とは叡智に満ちたシステムを持つものであると言えると思います。
臨死体験者は自らの体験は夢やドラッグの幻覚とは全く違う「現実」体験だったと強く主張しますが、まともに取り合う人はまずいません。逆に、宇宙から帰還した飛行士に対して「宇宙空間へ行ったなんて幻覚だよ。星の光る空の天井にぶつかってすぐに地上に戻ってきただけさ」と嘲笑する人はいません。しかし、他の惑星を訪問したと主張したアダムスキー氏は嘲笑されました。
臨死体験研究=霊界研究ではないと私は思います。臨死体験の研究は肉体と意識、心の関係と転生のしくみを解明する鍵ではないかと感じます。なぜなら、臨死体験者も宇宙からの帰還者も、宇宙の意識を深く感じた体験を持つ人が多いからです。それを安易に霊界に結びつけたり、逆に「臨死体験といっても実際に死んでないのが弱みだ」と安易に否定するのは楽な選択のように感じます。
私自身も「アダムスキー氏があれほど転生は一瞬と強調しているのだから、疑う余地はないだろう」と内心は思ってはいますが、しかし正直なところ、「生まれた瞬間の赤ん坊に一瞬で転生するのは当たり前」と直感的に確信できるほどにはなっていません。実際に転生は一瞬であっても、その数秒の間に、時間のない異次元の意識状態で臨死体験と呼ばれる経験を経て転生するのかというタブーの?考えが浮かぶこともあります。
宇宙哲学実践者の皆さんの中には、アダムスキー氏が言おうと言うまいと「転生は数秒」と感じている方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか? 想念観察を続ければ、直感的に理解することができるのでしょうか。私にとっての転生のメカニズムの理解は、今現在の生活から目をそらす行為でも興味本位の好奇心でもなく、宇宙意識を真に理解するための必須のテーマですので、あきらめずに「真実」を知りたいと思っています。