投稿者 スターダスト 日時 2006 年 4 月 16 日 15:52:05:
回答先: 伝わる 投稿者 スターダスト 日時 2006 年 4 月 16 日 15:32:18:
あ〜。そうですね、舌足らずかもですね。
1:受ける想念の選択を行う。どこからきたどんな想念なのか。
2:発する想念の選択を行う。どんな想念なのか、どのような行動に付随するものなのか。
1にてこずると2もうまくいきませんねぇ。
たとえば、国家の法律、地域共同体の因襲、宗教上の戒律、自分で決めたルール、いろいろな縛りで、発する想念の抑制や行動を律することを懸命にしている人がいたとして、かならずしも成功するとは限りません。
(成功する者が多数いるかもしれませんが世の中を見ているとそうでもないような)
第二次世界大戦前の学校教育で完璧な『日本人』としてふさわしい教育を受けた少年飛行兵が自分を律し片道の燃料を積み戦闘機で飛び立ち決死の特別攻撃で敵艦隊に体当たり行う。
これ、完全なコントロールが出来ているのでしょうかねぇ。結果だけを見れば、宇宙の意識と離れたことをしています。
1がなくて2だけになっている。
また、あまり例をみませんが1だけしている[つもり]で、2は全然駄目なこともありそうですよね。行動が伴わないならば即ち、内奥からの意識の声を聞いているのだといくら思っていても駄目なのでして。
そもそも1と2って分離できるものなのでしょうかねぇ…
「意識とともにある」生活をする、そういったことの練習をする、そういうことなのでしょうねぇ、、、想念観察って。
そうすると想念観察っていうのは、実に幅広く奥深いはずなんです。ひとりひとりが勉強するわけです。
… どこからきている想念なのかを気がつかないで溺れてしまうひともいらっしゃるようですから … ま、気がついて取捨選択することは必要でしょねぇ。 宇宙的な想念を受けるということは自分が発する想念なり行動なりを宇宙的にするということですから…入りと出は同じ量なので…まぁ同じです。
そんなふうに感じています。
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