投稿者 あつし 日時 2004 年 5 月 08 日 10:32:53:
回答先: 完全なる融和の時 投稿者 ヒカル・サトー 日時 2004 年 5 月 05 日 00:25:48:
ヒカル・サトーさんの言われるのは尤もです。
本当に世界に存在している惨状を見聞きすると、とてもひとごととは思えないですね。自分達には惨禍が及ばないようにしたいし、できればその人たちに援助をしたいとも考えるようになりますね。
でも今融和すべきなのは、この問題を真剣に考えている同士たちではないかと思いますね。
ア氏の出会った母船にいた異星人の長老のような人は、じつはどの惑星にも一人はいるのだということです。つまり彼らが精神的には惑星のトップなはずですが、そうした人がいると聞いただけで少しは希望がもてますね。しかし彼らをもってしても地上の状態は変えられないのでしょう。
過去に地上が異星人達の犯罪人流刑の地として用いられたとしても、それはイエスの時代までで、我々は「あなた方は罪びとだ」と言われる筋合いは無さそうに思われます。もしかしたら罪人達の血が我々に流れているのかもしれませんが、現状をそうしたことのせいにするのは愚かしく思えます。もしそうであったとしても、私達はそうした過去からの影響を克服できるのではないでしょうか。
> 正しく地球の現状は宇宙理念とは対極に位置して
>います。
>「一体いつになれば地球は真に独立した宇宙的惑星となるのか。」
世界中にキリスト教徒は大勢居ますが、まだ勢力不足なのかもしれませんね。
たとえば「あなたの隣人を愛しなさい」という聖書記載の言葉ひとつをもってしても、現在の世の中に達成できているとは思えません。また古代の十戒のひとつ「殺人をしてはいけない」という戒律でさえ、キリスト教世界でも日常茶飯事に行われています。さらに新約聖書にある「あなたの左のほほを叩く者には左のほほを差し出しなさい」という言葉などは、現代人にとってはお笑い種なのでしょう。つまり現代を支配する法則は、融和・尊重の精神ではなく、目には目を刃に刃を、という報復・懲罰なのですね。
現代社会は、ことほど左様に理念と現実とがかけ離れた状態となっているわけです。これはどうしてなのかを考えるに、それらを一致させるように努力をしてこなかった、というのがまづ第一の原因ではないかと思われます。
つまり、弱肉強食の競争原理を尊重するあまり弱者達が増え、それを野放しにしているから事態は一層拍車がかかるし貧富の差が増す。また多数者にのぼる彼らの窮乏が事態を一層深刻なものにしているということではないでしょうか。
窮乏すると人間は事態を打開するために攻撃的先鋭的になります。
飢えたライオンが凶暴になるのと同じです。こうした精神的物質的窮乏がその状態の維持に貢献し、世界の混乱と秩序の破壊の増長に役立っていることを理解するのは容易です。
ある程度物質的充足を達成できた人間は柔和になります。諺にもありますが「衣食足りて礼節を知る」というように、一応の世間体を保つ生活というのはそれらを入手できる経済状態の人に限られます。明日の食料を買うお金がないとなると微笑んでいられません。
歴史上の大飢饉では、食料が入手できず、死人の肉を食らったというようなことが文献に記録されています。そういう状態では礼節どころではありませんね。むしろ人の畑や家から物を盗み貪り食うというのが日常でしょう。
現代ではそこまでは行かなくとも、飢餓に対する恐れとか現在の地位や暮らしを失う恐れが人々の潜在意識に深く巣食っているようです。現代人はそうした”恐怖心”に無意識的に動かされているのだと思います。
こうした窮乏生活は、ビアフラなどの難民に代表されますが、一方先進国の多くでは食べすぎによる肥満問題があり、ダイエットに精を出す女性が沢山居ます。まさに世界の中にも対極構造が見られるわけです。
画家のゴーギャンはタヒチに出かけ、そこの女性と結婚して住み着きましたが、奥さんは彼が仕事をしなくても文句一ついいませんでした。
つまりそこでは、近くの林に出かけてやしのみを三つほど採ってきたり、自然に生えている木から果物を摘んできて食事をしていたのでした。まさに自然界からの恵みを受けた生活だったわけです。彼はそこで思う存分時間を使って絵を描いて暮らせたのです。
日本の社会ではとてもこうはゆきません。リストラされたといっては髪を振り乱して奥様がパートに出かけて食費を稼ぐ、果てはサラ金ローンで首が回らなくなり、挙句の果てに夫婦喧嘩で離婚など日常茶飯事のようになっています。
しかしゴーギャン時代の、タヒチのような楽園にも似た生活というのは現代社会では考えられないことでしょうが、やろうと思えばできなくはない、とも思えるのです。まさかビルの谷間にやしの木を植えるわけにはゆかないでしょうが、デパートやスーパーマーケットなどの供給システムを、適当な条件をつけて運営できれば良いようにも思うのです。今は、ほとんど全ての日用品がデパートやスーパーで入手できます。(詳細は割愛。)。
要するにゴーギャンのような生活が出来れば、世の中から争いは激減するように思われるのです。(それで残るのは恋愛問題くらいでしょう。)
理想を描くのは容易ですが、それを実地に移すことこそ最大の課題であるわけです。このためには政治に参加し、政治家を動かすとか、目的に役立つ政治家を立てなければなりません。またマスメディアによる宣伝も、同意見の者を増やすのに欠かせないことになります。
世界の人たちから精神的肉体的苦労を激減し、必要物や時間の充足により精神的ゆとりを取り戻すことこそが急務であると思われます。また、その結果として、マスメディアによる変な宣伝を減らし愛情を与え合う映像を増やすことでもありましょう。(暴力的映像などを減らすこと)。そうした映像やニュースは人々の潜在意識に記録されて、いつかそれに対応した行動となって表れます。
そうした様々な努力の積み重ねの上に、真の宇宙的社会と呼べるものが地上にも育ってゆくのではないかと愚考いたします。
自分たちのことは自分達行うのが宇宙の法則ですから、社会の変革も自分達で良い様にしなければなりません。スペースブラザーズ達は何もしてくれないのです。宇宙船も自分達で開発しなければならないのです。地上で、何とかしてくれとだだをこねていても何も進展しないと思われます。それどころか地球人達が自滅しようとしても彼らは妨害しないでしょう。このことは過去に滅んだ幾多の文明が証明しています。彼らは地球人の自由意志を妨害しないのです。
(ただし、彼らに迷惑がかかる場合には干渉してくると思われます。)。結局、サジェスションやアイデアが時折与えられるだけで、それを選択し行動に移すのは地球人の自由裁量に任されているわけです。
そんなわけで、この世界も異星人達から一人前の世界と認められているのですから、私達はよき想念や理念をもって前進してゆく必要があると思われます。
あつし
P.S.
アダムスキ的に理解する「最後の審判」とは、自分自身の宇宙の意識が下す審判のことで、それは死ぬときにそれまでの行いを総括されるのです。そして本人にとってより良いレッスンのできる場所へと転生するわけです。
|> どうも、こんにちは。
|> 最近多く話題に上るイラク問題を考えて、改めて地球の現状に強く
|> 感慨を覚えました。「宇宙の理念」を知っているからこそ傲慢な感
|> 情やエゴによって引き起こる争いに、たまらない気持ちにさせられ
|> ます。別段イラク問題でなくても普段から人が人を傷つけるという
|> 事件が取り沙汰され痛ましいばかりです。
|> 何故でしょうか?
|> 人が少しずつ意義を見失っているように思えます。文明が栄え、思
|> 想の懐が深くなった事で、むしろ我々現代人は盲目になって来てい
|> ます。この光景を目の当たりにする度、逆に強く「宇宙的精神」を
|> 思い起こします。正しく地球の現状は宇宙理念とは対極に位置して
|> います。
|> 「一体いつになれば地球は真に独立した宇宙的惑星となるのか。」
|> 一説に、地球人は99%がゾンビで本当にヒトと呼ぶにふさわしい
|> 者は1%ほどであると言われています。つまりは、学びを重んじて
|> 悟りに生きている人間は雀の涙程度しかいないということです。
|> 考えればそれは簡単で、人は皆違う価値観を持っていて、エゴを
|> 捨てきれずに生まれてきた理由もわからず一生を終えようとしてい
|> るからかも知れません。
|> アダムスキーが語るには、太陽系には順位が在り、太陽に近い星ほ
|> ど高い精神を持ち、高い次元に近づいているらしいのですが、そう
|> すると地球は3番目に優れた星という事になります。それどころか
|> 地球は自身より後の星である木星や土星よりずっとずっと劣ってい
|> ます。おそらく12在る惑星の中で最も低劣かも知れません。
|> 宇宙に息づく全ては互いの支え合いが無くては存在できないもので
|> す。かつて原始の地球にもブラザーズが訪れ、原始の地球人に知識
|> を授け成長の手ほどきをしたとアダムスキーは語っています。英知
|> は受け継がれ、精神は目覚めていかなくてはなりません。
|> 人間は影響し影響される存在なのだと思います。だからこそ「悟り
|> 」があり「墜落」があるのでしょう。
|> しかしながら宇宙理念は尊重して愛する精神です。放任しあくまで
|> 見守るのがブラザーズです。
|> それでも地球人はとりもなおさず「学び」を背こうとします。社会
|> では個人尊重が叫ばれ、誰もが自分を、他人をとりとめない姿勢が
|> まるで当たり前のように認められています。
|> 自分は、尊重を望みたくはないのです。
|> 審判の瞬間は訪れるのでしょうか
|> 完全なる融和をもたらす事を望むばかりです。