投稿者 異邦人 日時 2004 年 4 月 17 日 23:10:43:
回答先: 美は心を動かす 投稿者 時の声 日時 2004 年 4 月 16 日 00:33:13:
|> 美を通して人間に神の教えが流れてそれを人間が感じ学んで行けるとは美の世界に神の意思が存在出来るということを示していると思います。過去も現在も恐らく未来においても美をもって神をたたえたり表現したりして行くと思います。カントは人間にとってなにが最終的に価値あるものかと自問し答えた真、善、美、これは宗教的なささえがなくても、人間は正しく生きることが可能であることを示しているように思われます。・・・ 人間に善と真を秘めた社会慈善運動を促していると感じます。
アダムスキーの『金星・土星探訪記』のn261には、アダムスキーが金星の母船の中で出会った『久遠の生命・一なる至高者』をあらわす肖像画と同じ肖像画が金星の寺院のような建物の中にも懸けられているという記述があります。『ある時母船に乗り込んで私はスクリーンに投写された彼らの映画を見ましたが・・・画面には彼らの建物が一つ写っていました。・・・地球の美しい大寺院の本堂に似た長い室の奥には、大きな壁に『無限の生命』をあらわす肖像画がありました。それは息詰まるような光景でした。その肖像画が生命で震えていたからです。・・・この建物の内部では宇宙の英知によって促進される『宇宙の働き』の完全な同等活動などについて研究されています』
このアダムスキーの記述より理解できることは、この建物の中の肖像画と同じ肖像画が金星の母船の中にもかけられており、金星人の精神生活の基本となっている『無限の生命』を顕している芸術作品であるということと、この肖像画が、人間の普遍的価値観でもあるドイツの認識論哲学者のカントが指摘した『真善美』の価値観を具体的な芸術作品として表現されているものではないかと考えられるということです。つまりカントの指摘する価値観とは、この地球上のみの価値観ではなく、宇宙的にどの惑星の住人であっても共通となっている宇宙的価値観であるということである。つまり、真とは科学であり、善とは社会であり、美とは芸術と置き換えることができると思われる。しかし、アダムスキーはこの真善美が一体となっている一枚の肖像画が金星人のいかなる芸術家によって描かれた絵画であるのか?その具体的コメントはなされていない。しかし、この肖像画が展示されている建物とは、宇宙の英知によって促進される宇宙の働きの研究をする処であると示されている。つまりそれは創造主による宇宙の働きを研究する処であり、それは『科学と芸術と社会』の側面より創造主の惑星上の宇宙哲学の社会活動の形態について研究する研究機関と言えるのかもしれない。この研究機関にあっては、科学と芸術と社会は分離して存在しているものではなく、創造主の活動においては一体となっているものであるということである