投稿者 時の声 日時 2004 年 4 月 16 日 00:33:13:
回答先: 創造主は、芸術によって宇宙哲学の社会運動を顕す 投稿者 異邦人 日時 2004 年 4 月 14 日 22:45:33:
美を通して人間に神の教えが流れてそれを人間が感じ学んで行けるとは美の世界に神の意思が存在出来るということを示していると思います。過去も現在も恐らく未来においても美をもって神をたたえたり表現したりして行くと思います。カントは人間にとってなにが最終的に価値あるものかと自問し答えた真、善、美、これは宗教的なささえがなくても、人間は正しく生きることが可能であることを示しているように思われます。アガムスキー哲学、を学ぶといってもアダムスキー教の信者の言葉を語っているように聞こえてしまうのは、私だけでしょうか?アダムスキーの示したことは、他の星にも宇宙人はいるということではないでしょうか、その宇宙人の宇宙哲学をその裏づけとして、しかし戦後世界の世界中の人々の目的はアガムスキー哲学ではなかった、さらにその先、彼よりも次元の上のものを語る者、そしてその実践者ではないでしょうか、なぜなら
核や公害、西洋科学の自然や人間も含めた生物界にあたえた副作用、すべての人工的生産物の全産業を網羅するリサイクルシステムの構築とか、、、こういった地球の大問題をクリヤーしなければこの先へ行けないからです、皆さんも早くアダムスキー哲学を卒業してこの地獄の世間に飛び出し実践的にこれらの諸問題を身に感じて学べば、その必要性を感じることでしょう。そのはじめの1歩は、人がポイッと、無神経に捨てたごみを腰を曲げて拾って、手にした時、それはおおきな1歩、おおきな前進なのです。そしてすべての人が新しい世紀に入る前の誰もが通らなければならない関門なのです。もうその時間が流れているのが現在の地球だと考えます。これらは美という感覚があるかないかでまったく違う道を歩くおおきな分岐点の役目を担うことでしょう。異邦人さんの言っているように美をもって神は
人間に善と真を秘めた社会慈善運動を促していると感じます。長年座っていた椅子からさあ立ち上がりましょう!