投稿者 異邦人 日時 2002 年 11 月 01 日 23:32:12:
回答先: Re: ローマ・カトリック教会とアダムスキーについて 投稿者 空に太陽がある限り 日時 2002 年 10 月 31 日 21:13:55:
|> >アダムスキー問題が、けして宇宙哲学の問題のみならず、社会的事件として社会的評価としてとらえ直す必要性があると思われます。
|> はたしてそうでしょうか!?
|> ローマ教皇がアダムスキーに会つたのではなく、ヨハネ23世が
|> 個人として会つたとは考えられないでしょうか?
|> 社会的地位や勲章などに捕らわれる事のない、創造主への尊敬と
|> 信頼を持ち合わせる者どうしが、フィーリングの引き合いによつて
|> 出会つた。
|> 意識と心とが同調した者どうしが必然的に出会った。
|> その喜びは、例え様のないほどだったことでしょう・・・
|> (想像ですが)
恐らく内面的な共感的な部分が相互にあって、その上でローマ教皇としてではなく、個人としてローマ法王がアダムスキーに会見されたということと思われます。しかし、たとへ、非公式な個人的会見であったとしても、その会見された社会的意味はやはり、キリスト教世界にとっては大きいものと感じられます。なぜなら、同じように異星人と会見したマイヤーの場合に、その世界観がキリスト教世界と相容れない部分のために、欧米世界では批判をされているということを聴いたことがあります。たとえば、この会見について、一般のカトリック教会の人々は、この会見をどのように感じられたのか、この会見はカトリック教会の人々にたいしての、一つの架け橋となるものではないかと思われるのです。アダムスキー哲学の人々と一般のカトリック教会の信仰者の人々を結びつける接点とはならないことでしょうか。両者の対話の接点となる鍵が、両者の共感の中に示されて、この出来事は、理想論とはなってしまいますが、二つの流れの人々が相互に理解することが可能であることのメッセージとはいえないことでしょうか