投稿者 異邦人 日時 2004 年 4 月 18 日 16:40:50:
回答先: Re: 銀行券の波動を支配利用するもの 投稿者 ミュー 日時 2004 年 4 月 18 日 10:10:30:
ミュ様へ、お便りありがとうございます。でも、今の日本の経済状態の中で私たち日本人はどこに道と希望を求めるのでしょうか?
アダムスキーは個人的には、銀行券に対して一般人とは異なる特殊な感覚を持っていたと思いますが、けしてそのことを他の人々に強要されたことは一度もないと思います。しかし、だからと云って現在の資本主義体制をそのまま肯定していたとも思えないものとどうしても思えてくるのです。なぜなら、貨幣経済は地球の中に存在する経済体制であって、他の惑星には存在しない体制であると述べられているからです。でも、現実は身近な問題として個人が生活してゆくためには、銀行券は必須のものであり銀行券そのものを否定するあり方は、非現実的なあり方と思います。アダムスキー哲学が貨幣を否定する哲学と解釈され誤って実践されるのであれば、現状ではそれは行き過ぎでありミュさんの云われるように中庸に欠けるもの思われます。しかし、『お金を愛しましょう。』が反対に宇宙哲学であればこれもやはり行き過ぎではないでしょうか?なぜなら、私たちは金融機関に普通預金や定期預金によってお金を貯金をする処までの認識しかなく、その自分の貯金がどのように処理されてゆくのか?その流れを知らず、銀行などの金融機関と不動産に絡む不良債権の問題が表に出るまでは、金融機関の持つ本当の実体を知らなかったということが現実ではないでしょうか?私たちは銀行の持つ表の顔しか知らないのです。しかし、現在では銀行の不良債権の問題を通して銀行の裏の顔について国民が気付いています。また日本国内の利害に影響を受けない外国のマスメディアは、日本経済の本当の姿と問題点について指摘をしています。私たちにとって銀行券は生活にとって必要のものであり、それは当たり前の常識のことと思われます。しかし、その常識が近い将来、自国通貨の信用を失うという可能性をひめているのではないかと潜在的に感じている人々も多いのではないでしょうか?資本主義の中で生きている以上、必要なことは肯定しなければならないけれども、反対にこの日本経済では、これまで肯定して信用してきたことがらがすでに崩れ始めてきていると思うのです。そのような現在の日本の経済情勢の中で肝心の宇宙哲学が『お金を愛しましょう。』では、保険会社の意図的宣伝であり、これは解答でも中庸でもなく何かが違うのではないかと感じるのです。それでは宇宙哲学ではどのようにのべられているのでしょうか?
『金星・土星探訪記』のn281の貧困排除の戦いについてのコメントの中に『地球人は他の惑星に従ってこの社会の型を造り上げようとし始めている。・・・貧困が除かれれば多くの病気と犯罪が消滅するからです。・・・これを達成するためには物資の分配法が変えらればなりませんし、平等の法則が貪欲の法則に置き換えられなければなりません。』と述べられています。つまり物資の分配法を変化させることが重要であって、これまではその分配法が資本主義と共産主義によってなされていたけれども、そうではない新しい経済体制を造る『経済学』が必要であると述べているということです。資本主義とは資本であるお金の持つ社会的力によって物資を分配する方法であり、それは、小泉政権が創り出す現在の日本経済のようにこれまでの経済的に平等な日本の社会から富と貧の階級社会を造りだしてゆくことになってゆくと思います。アダムスキーは新しい経済学の姿について言及されていませんが一つの方向性として、宇宙哲学とインターネットの機能が地球的規模で物資の需要と供給、生産と流通と分配に結びつくことによって、そこに物資の分配方法の新しい方向性があると考えることができないでしょうか?つまり経済の中に人間の自律神経系の機能がインターネットを通して社会の流通と分配の中に進化して顕されてくるという道です。しかし、『新しい経済学』は日本の中から生み出されるものでしょうか?宇宙哲学は新しい経済学の必要性を示しています。