投稿者 スターダスト 日時 2000 年 5 月 21 日 17:16:09:
回答先: 要約の補足 投稿者 瑠璃 日時 2000 年 5 月 20 日 00:09:38:
|> ・等価原理E=mc^2について。
|> 数式が成立する限りEとmとcのどれが変数であっても良い。
|> その点において光速度は可変であると言える。
|> 例えば火星の地表で測った光速度をcとし、質量をmとすると、
|> そのときの波動的側面をE=mc^2で計算できるということだ。
|> 問題は光速度の絶対神話だ。
|> 媒質を変えて測定すれば、原理的には微妙に値が変わるが、そこまで高精度の測定器械が無い。誤差として認識され、光速度は絶対だと主張される。
|> これら全ての主張は地球地表付近での測定結果に起因していることに気付こう。
|> すると、別の惑星で同じ方法を試したとすると同じ値が出るだろうか。
|> 私はその惑星の固有値が出ると思う。
どうも!(^^)
光速度についてチマタでいといろ説がありまして。
ここは保守主義の立場から、この記事を読まれる
全ての方々にもの申しておきましょう。
もちろん、正統派(?)科学でも光の速さは絶対では
ありません。媒質中では、光よりも早く粒子が飛び交う
ことは当然あります。チェレンコフ光が出る話は有名
ですよね。観測されてます。
有名じゃぁないかも。
もっと素朴なところでいえば、
水面で光りが屈折するのだって、速度が違う
からであって。
媒質中の光の速さと、【光速度不変】の光速度とは、そも
違うお話なんですね。概念を混在させてはいけない。
光速は、光の速さにあらず!でしょうか。
およそ、静止質量のない粒子は、自由状態において
すべて、ある速度でとびかっているわけでして、
その粒子群のひとつが【タマタマ】光であるのです。
ネーミングの問題があることは否めませんが。
意味のある情報が伝わる速度の上限として
宇宙の構造上の定数が設けられている、、この意味での
絶対上限速度として、
【光速度】という名前がつけられています。
E=MC^2
において、Cが変わり得るかという仮説ですが
どうも私には信じがたい。
宇宙の定数が、局地的にローカライズされている、
たとえば、火星と地球で「絶対上限速度」が違うと
どうなるか?
はっきりいうと、着地した観測機は、電波を飛ばせない。
電送写真も、受信できない。クロックが違うから
コンピュータも誤動作をおこす。
それどころか、、観測機は、火星の勢力圏にはいったら
分解してしまうことでしょう。原子もなにもかも
バランスをくずして崩壊するはずでなんです。
地球の科学が知りうる限り、各宇宙の物理定数は奇妙なほど
バランスしあっており、たとえば、プランクの定数が
10%ちがっただけで、太陽系は、崩壊してしまいます。
う−−−−ん。
宇宙の法則はどこにいってもどんな時刻でも同じです。
かの清家新一さんも、光速度は、惑星によって違う旨
のべられていましたが、やっぱり信じられなかったですね。
信じる信じないの問題ではなくて、事実としてどうなのか?
万有引力の法則は、質量どうしでの働きなのですが
惑星や、小惑星といった、場所ごとに、光速度がバラバラ
ならば、結果として、さきほどのE=MC^2により
質量がバラバラになってしまいます。太陽系が崩壊せず
秩序ある運行をしているのは、場所によらず、質量換算が
一定であるからでして。
たとえば、月の光速度がかりに、地球のそれの
半分だとしましょうか。すると、質量は4倍にならざるを
えません。すると、今の軌道半径で地球のまわりを
まわるためには、地球と月との間の引力に打ち勝つための
遠心力が働かなくてはなりませんので、もっとすばやく
グルグルまわらなくてはいけません。ひとつきは10日
ぐらいになってしまうとかね。(計算したわけでは
ありません)
話は変わりますが、月の質量はアポロの昔から
計算できていたわけですね。
月の質量はこのぐらいだと思われるなど予想がついたし
実際に、月での宇宙飛行士の行動は計画され
そのとおりに実行されました。
アームストロングは地球のそれよれも強い重力で
コケルことはなかったわけです。
火星に飛ぶ船だって、普通の科学者、技術スタッフが
宇宙船の質量かくあるべし、火星の質量かくあるべし
したがって、引力かくあるべし、したがって、軌道や
速度かくあるべし、と計算されて発射されて運行されて
ますんで。光速度が、これらの計画を破壊するほど
有意にズレテいるとはおもえないです。
清家新一さんは、ものすごい速度差を主張なさっていた
けれど。
E=MC^2についてCは不変
をこの文で無理矢理擁護したけれど
ほんとうは、ここには書いてもわかりにくい
ある種の理由があって、Cは不変と言いたい。
簡単に言うと
「宇宙は美しい」のだ。
|> ・非A哲学について
|> 誤解してもかまわないが、あまりにも面白く無いので言っておくが、
|> Aはアダムスキーのことではなくアリストテレスのこと。
|> アリストテレスの論理は簡単に次のようになっている。
|> 「Aであるか、もしくはAではない。そのどちらかである。」
|> つまり、白でなければ黒でなければならない、という二元論だ。
|> この方法は同一視しやすい状況を生み出す。
|> 例えば、あなたがたこ焼きを食べるときにマヨネーズをかけないとすると、
|> あなた=マヨ抜き派と同一視されてしまう。
|> しかし、実際は「たこ焼きを食べるとき」に限っての話なのだ。
|> サラダを食べるときはマヨネーズ大好き人間かもしれないのだ。
|> 非A哲学は同一視をしない、より厳密な考え方である。
|> 例えば「日本は原爆を持たない」と言ったとき、
|> 政府が持たないのか、自衛隊が持たないのか、一般市民が持たないのか、
|> などを考えるということだ。
|> 言葉が伝わっていても、両者の間で意味が違っていればとんでもないことになる。
|> よく「地図は実際の土地ではない」と言われるが、これは派閥対抗論争しかできない人への警句だ。
|> 「光速度」という言葉はほとんどが地球の固有値として使われるように、
|> 他惑星のそれと同一視していることが多いのは事実である。
そもそも別のものを同一視しているのではなくて
そもそもひとつしかないものを無理に分ける必要性を
感じないのです。
|> 非Aは物事の多様性を認めており、意味論(これは言語学)と関係している。
|> これらのことを知りたい方は、
|> A・E・Van・Vogtの「非Aの世界」という小説を読むことをお勧めする。
|> 面白いSFだよ。
何年前でしょう?
まだ絶版にはなっていないでしょうか?いやぁなつかしい。
28年前に知ったような。。。