投稿者 スターダスト 日時 2004 年 5 月 10 日 00:03:23:
回答先: Re: 因果律と自由意志 投稿者 伊知地充 日時 2004 年 5 月 09 日 19:50:39:
|>単に《人間は自身の意志を持つ》というだけにとどめておけば問
|>題は無かったと思います。
ふぅむ。
|>ある時人間は《自由意志》という訳の
|>解らん概念を発明してしまいました。
|>周りの意志とは関係なく、
|>影響されない自身の意志という意味にとどまらず、
|>そこに《倫理的意味》をも含めて《自由意志》として
|>しまったのです。
周りの意志とは関係なく、影響されない自身の意志という意味
ならばよろしいのでしょうか?
倫理的意味が含まれなければよろしいので?
|>つまり、
|>無条件の全的責任が自由意志という言葉には含まれています。
私は自分の生活に発生するすべての事象を
自分の責任だと思う事にしております。
環境の奴隷だなんて思いたくないから。
私は私の生活に対する責任を単純に「在る」と
みなしています。
環境(他人を含む)や自分の過去も含めて、
なにかのせいにしていたら、それこそ
なにもかも喪失してしまいますからねぇ。
ややフマジメにとらえていただいちゃう傾向が
なきにしもあらずなのですが。。マジメな話です。
小学校6年生のときに
私は、サイエンスフィクションで
心理歴史学(サイコヒストリー)という、
(物語の上での)学問を知りました。
衝撃でした。恥ずかしながら一生のテーマです。
気体分子論に着想を得て作家アイザックアシモフが
思いついた想像上の学問です。
若干量子論の味つけもしてあります。
個々の人間の反応は予測できないが
人類総体の反応は、数学的な解析によって
充分な精度で予測できるというものです。
(この学問によって銀河系規模の人類を破滅から救おうというもの)
ちょうど、気体の圧力が上がる下がるについては
予測できるけど、ここのガスの分子の動きについては
まったく予想がつかない、、そういったアナロジーでした。
小6のガキのくせに私はひどく心配しました。
これはSFなのだけれども、もし本当にそうだとしたら
どうなんだろうと。
国家間の戦争や身近な暴力行為は避けられないのかと。
私は関数方程式の確率的な解の中のひとつの点なのだろうか、
みたいな気分を味わったのです。このへんの単語はその後の
思春期の頃の脚色ですけど、ものすごく人生について考える
材料であったことは間違いありません。
というわけで、自由意思の問題は、かなり興味があって
それで、伊知地さんのご投稿には反応しているわけです。
以下、本題とはそれて、ちょっとツッコミを。
|> 大方の自由意志論者は、その論拠として例の
|> 《不確定性原理》を
|> 持ち出しますが、
系の状態関数は時間についての微分方程式にのっています。
したがって、状態関数は、初期値が決まれば、原理的に
決定されています。
この意味の恐ろしさを大方の自由意志論者は知りません。
いいかげんな量子論の理解によって自由意思を論じることは
出来ません。
既存の物理学から得られる命題を信じきるならば、
(アインシュタインがそうであったように)
自由意思などありはしないのです。
量子力学建設途上で、さまざまな自然哲学者達は
ニュートン力学の呪縛から脱した気分になりました。
《不確定性原理》が、実験結果を確率的にしか予言
できなかったからです。
しかし、まさしく伊知地さんがおっしゃる通り、
ここからは自由意思を導き出せません。
状態関数の方程式から求められる値は、
初期値が決まれば未来永劫決定される
微分方程式の解なのです。
(このことが信じられなければ結構。量子力学の
方程式は、拡張の必要があるのだという私の同志です。)
ここに、心理歴史学のアナロジーの悪夢の再現が
あります。
私達は戦争を避ける事が出来ないのか?
ヒトガヒトヲコロスコトをサケルコトができないのか。
たとえば、ひとつの解として、エンゲルスが言うように
人間は主体的に生きる(つまり革命に参加する)ことにより
人間が人間をしいたげる社会からの脱却をめざすことが
できないのか。
まぁ駄文を書きました。
私がたどりついた結論は、
ペンローズの方向性でした。
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既に知られている体系や知識からの考察には陥穽があるものだと
私は痛切に思いました。