投稿者 瑠璃/K 日時 2001 年 5 月 15 日 23:27:12:
みなさんどのようにア氏の本を読みますか?
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僕の読み方は辞書と同じです。必要なときに必要なとこだけ。
と言っても僕が読むのは主に、科学関連とコンタクト時の船内描写です。
「生命の科学」は去年の夏にちょっとしたきっかけで一回読んだだけだし、
「宇宙哲学」と「テレパシー開発法」にいたっては開いたこともない。
僕はア氏の本は構造主義に近いと思って読んでいました。
相互の関係から本質を明らかにしようというもの。
ア氏が言う細胞の話も似てる。
個々を宇宙的細胞と習慣(悪魔的)細胞に分ける必要は全然無くて、
それが同時に存在して、関連していることが書かれていたり。
神話でも天国と地獄はワンセットになっています。
少なくとも僕は、天国だけとか、
地獄だけをベースにしている宗教は聞いたことがありません。
なぜ、2つ同時なのでしょうね?
なんか、話がズレテルような。。。。
閑話休題。
みなさんどのようにア氏の本を読みますか?
*
書いていて直感が降ってくる。
「ア氏の書いた9講は、もしかして、
スペースプログラムそのものでは?」
もう、なんの脈絡も伏線も無いです、直感というやつは。
スペースプログラムがどんな意味で使われているとか、
伝わっているのか全然知らないんですけどね。
9講のスクリプトを実行させるにもエンジンがいる。
人がその実行エンジンになる方法が書かれているのは1講ではないだろうか?
とすると、(今「生命の科学」の目次を見ている)
ア氏が本に書いた順序は、
「それがその順序に実行される」
ということではないだろうか?
1講で私達は自分の内部に分析実行エンジンをつくる。
2講から8講まで順次処理していく。
ここの順序は入れ替わっても良いと思うが、何らかの意味があると思われる。
そして9講でスペースプログラムの発動。地球人が公的に参加する。
その後10、11講はさらなる拡張。宇宙旅行だ。
これは意識的旅行もあり、肉体的な宇宙探検(Star Trek)も含む。
で、最後の12講はア氏によるまとめ。
こういった本の構造(構成)を考える人は結構いそうですねぇ。
地球人はどこにいるのか?といったら、1講より前かも知れない。
でも、もう表紙は開かれている。
そう感じます。
いや、案外すぐ9講になるのでしょうか。