投稿者 異邦人 日時 2002 年 10 月 30 日 02:00:44:
アダムスキーが西欧において伝統性を重んじるローマカトリック教会の教皇ヨハネ23世に会見をされたという事実は、当時のアメリカの社会情勢の中で、人々がそのことをどのように受け止めたのか、とても関心を持っています。ローマカトリック教会の教皇がアダムスキーと会見して彼に対して評価をされたと言うことは、他のコンタクテイーには見られない社会的事件でもあり、アダムスキーが他のコンタクティーには見られない大きな側面を表していると考えられるのです。ローマ教皇が何故に。アダムスキーと会見をされたのか?この理由を知ることは、重要な意味を持っていると同時に、ローマ教皇が会見されるということはそれなりの社会的意味があり、一つの評価であるということです。たとえば、日本で言えば、日本の皇室が、もし、そのような人物を評価して勲章を与えたのであれば、彼を批判する学者は、皇室の人々に評価された人物を批判することが反対にできなくなると同時に、墓穴をほることになるからです。つまり、ローマ教皇の評価は、キリスト教世界における一つの社会的認知を意味しており、社会的地位を得ているといえるものと解釈することができるものと思われます。そして他のコンタンティーでローマ教皇に評価された人物が存在することでしょうか。たとえば、日本の社会の中で円盤について述べる人が、皇室の人間に評価されて勲章をもらえることでしょうか。このように考えてゆくと、アダムスキー問題が、けして宇宙哲学の問題のみならず、社会的事件として社会的評価としてとらえ直す必要性があると思われます。ローマ教皇が評価したということが、とても大きな社会的意味を表していると思われるのです。