投稿者 瑠璃 日時 2000 年 5 月 18 日 20:00:58:
没にしたものでも伝えたい情報があるので、要約して伝えることにする。
このような経緯を経た上で、あるプロジェクトをやることにした。
それを知っておいて欲しいからだ。
発想の転換として使われたし。
・着陸ギアはなぜ丸いか?
球形にして放電しないようにするため。
もし尖った構造をしていたらそこから放電してしまうので、
母船に帰還することはできなくなる。(円盤には発電設備が無い)
・眼の記号(神々のルーツから)
『その一例を挙げれば、私たちの宇宙機の断面図のスケッチがあります。これ何度も書き直されている内にきわめて簡単なものとなり、様式化されて、とうとう"ホルス神の聖なる眼"やそのほかの神々の眼をあらわす図形となりました。そのほかの記号や錬金術にも、眼の形があらわれますが、これは私たちの輸送機関を象徴するものにほかなりません。』
ホルス神の眼、太陽神ラーの眼などは
ネガに描かれている紡錘形とスワスティカから派生したものである。
これはネガのスワスティカに円を描いてみればわかる。
・区別しよう
円盤とは機械でできた乗り物である。
UFOとは未確認飛行物体のことである。
「空飛ぶ円盤」の通称がUFOなのではなく、
「空を飛んでいる何だか判断できないもの」がUFOだ。
観測者が「円盤」の話をしているとき、
聞き手は「UFO」の話だと思っていることがよくある。
そこには明確な違いがある。
・釈迦に説法
説く必要の無いことの例え。
釈迦は悟った人だ。
だとしたら、人の意見はよく聴くのではないか?
釈迦でない人でさえ、他人の言うことを参考にするのだから。
私は相手が誰であろうと言いたいことは言ってしまう。
言わなきゃ、わからん。これがいつもやっていること。
釈迦にも説法!!
・てんとうむし様への追記
磁気モータと自転公転の原理を同じく「踊り」と言っている。面白い。
円盤は馬であり、母船は馬小屋とニンジン畑という例え。
ニンジン畑とは充電設備のことだ。
返事を返したとき、それには気付かなかった。
図面が伝えられた理由。「地球人に解いて欲しいから」
以下、「地球人が近視だから」に対して。
「金星人は太陽系随一の目医者であって、地球人の目を治しに来た。」
治療するには同じ場所にいる必要がある。
が、患者は移動手段がないので、医者がやってきた。
患者が聞きたがる移動手段の答えを持って。
医者には医者の"想い"があって来る。
・等価原理
E=mc^2
この数式は物質・空間と波動が相対的であることを示す。
従って光速度は可変である。
・人間はプログラマだ
文明が自殺しないように魂が鍵をかけた。
以下がそのプログラム。
『科学と宗教の同一性を発見したとき、あらゆる束縛から解放され、
宇宙の真実を得られる。
それまでは真実を封印し、2つの鍵に分けるものとする。
鍵すなわち科学と宗教は、時には対立し、時には協力する形で
生命と文明を保護する役割を持つ。
これは同時に、それぞれ互いを支え合う力があり、
真実の証拠となるものである。』
同一性を発見するのはいったい誰か?
すなわち、ループから抜け出すための条件を見つけられるのは誰なのか?
プログラマとはプログラムされる者ではなく、プログラムを自由に書き換える者である。
・Res0203-0311
コスモス様:02/03:Re:気楽に皆さんへ
|>母船にしろ、円盤にしろフォースフィールドがあるのだから
|>トルクが発生して船体がスピンしても問題はないはすです。
リングの回転は他ならぬフォースフィールド発生の為に必要である。
スターダスト様:02/10:瑠璃さんへ、少しずつおはなしします。
|>アダムスキーが特に着目したのは
|>電気はプラスマイナスの2極
|>磁気はSNの2極
|>であるのに
|>重力は極が見当たらないということです。
電気と磁気は原因で、重力は結果(現象)です。
電極ではなく電気力線(または電流)、
磁極ではなく磁力線(または磁流)が本質に関係しています。
これに対し重力は電磁場の相互作用の結果です。
重力場を仮定し、ある高さからものを落としたとしましょう。
そのとき、鉛直方向に重力力線を描くことができ、
その両端には極を名付けることもできます。
ただ電磁気学では相対的な極の表現に慣れていますが、
重力を論ずるとき相対的に極を名付けることに慣れていないだけです。
重力の極を考えることもできますが、極は原因ではなく
重力力線、すなわち電磁場の相互作用に秘密があります。
(重力や電磁気に関する事は今後説明の予定。)
|>植物が天にむかって成長していく様を
|>例にして、説明に苦しみながらも
|>重力の2極性を述べています。
これは重力が鉛直方向にはたらくことを言っています。
より正確に言えば、電磁場の相互作用によって上にも下にも動くということです。
重力は下向きの引力だけではなく、上向きに現象化することもあります。
地球は上空が高振動で、内部の中央磁石は低振動になっています。
例えば植物は花が高振動で、根が低振動です。
「花」と「根」はそれぞれ同じ振動数がある場所へ向かって生長します。
これを「重力がはたらいて茎や根が伸びた」と表現しています。
|>「分極」を意味しているとしか
|>思えませんでした。
これは#139の遠藤氏の発言にもありますが、
「極」が現象を引き起こすのではありません。
重力は極を結ぶ力線=場の相互作用にほかなりません。
「分極」とは誘電分極や磁化、静電誘導のことでしょうが、
重力は主に場の振動数が関係しています。
|>(テンソルによる重力理論)
(私はテンソル概念を正確に知りません。以降直感。)
おそらくアインシュタインは重力が地球の作用と考えたのでしょう。
それを対称テンソルで記述した。
これは下向き重力のことです。(地球という1極が原因ということ。)
その後、彼は重力は2者の相互作用と考えるのに至った。
石が落ちるのは、地球だけではなく石の場が作用している、と。
石から見れば「地球が落ちてくる」とね。(相対性の適用)
では石の場を制御すれば地球に反発されるのか?
よって、上向きの重力も考えた。
石が落ちた場合、その始点と終点に極を名付けることができます。
これを反対称テンソルで記述したのでしょう。(2つの場の相互作用が原因ということ。)
「極」は相対的なものなので、全ての運動現象は2極を名付けられます。
しかし、やはり極ではなく、その間にあるものが原因です。
C.Ito様:02/12:Re:割り込んでゴメンナサイ
|>実際に光には速度があることが種々の測定によって解っているの
|>ですから、光速度=有限とするべきです。
より正確にするために非A哲学からこう言えます。
光速度(地球圏、現時点において)=有限
カッコ内の注釈が必要です。
地球圏の光速度を宇宙空間や他の惑星に適用すると間違いが生じます。
例えば火星では火星の1秒と1メートルを用いて計算する必要があります。
スターダスト様:02/17:コシヒカリ
タイトルに笑ってしまった。
アインシュタイン自身はエーテル概念を否定していないし、
光速度絶対とも言っていません。
それらは後の科学者が常識として植え付けたことです。
エーテルを否定し光速度を絶対視することで、地球人を重力に縛り付けておくためです。
ドライもん様:02/20:Re:興味深い、、、
「普通のカメラ」と「特殊な装置」の話が面白いですね。
これは光って何?ってことに関係します。
つまり、秒速30万キロは地表で観測されたものであり、
宇宙空間を伝わる波は秒速30万キロだろうかってこと。
アンドロメダ星雲から地球までは光速度以上の波動形態を持っていて、
地球の重力圏に入ると秒速30万キロの光となります。
太陽からの波動も同じように、大気に突入してからがまぶしいわけです。
スターダスト様:02/20:どこが興味深かったのか書いちゃいますね。
|>星屑|> 本当は、光速を超える瞬間の素過程が問題なのですが。。
物質が100%エネルギーに転換するプロセスのことでしょう。
が、現在の力づくのロケット技術では不可能です。
完全に制御できないので原爆となるのがオチです。
重力場制御ができない限り、地球光速度の突破はできません。
その場合、物質は物質のまま移動します。エネルギーには変換しません。
フォースフィールドが高振動な為、離れたところから見れば
エネルギーとして認識するでしょう。
しかし、船体や乗員は物質形態のままです。
他の惑星が灼熱の世界で生物が住めないと言っているのも同じ理由です。
フォースフィールドの外から観測しているためです。
現在地球には電磁振動に影響されない観測装置はありません。残念ですが。
|>星屑|> 無限大の速度には、
|>星屑|> 必然的に絶対時間の導入が必要となります。
「無限大」や「絶対時間」は相対性からはずれた極端論だと思われます。
私達が地球上で暮らす分には「地球の絶対時間」で充分ですが。
秒速30万キロ以上の速度で円盤が移動しているとします。
地球人がそれを見たときは速度無限大とみなすでしょう。
そのとき地球人観測者と円盤の両方の基準となる「絶対時間」を設定できます。
しかし円盤の乗員にとって速度は依然として有限なのです。
地球人が相対的に「無限大」と捉えているにすぎません。
聞こえないからと言って、周波数無限とは考えないでしょう。
全ては相対的、視点の違いによるものです。
|>星屑|>あたしゃ、タブン、マクスウェル方程式の構造に
|>星屑|>「電磁場」における「等価原理」らしきものを
|>星屑|>見出しました、、、
それって、ホントに式構造の話では・・・
偏微分を使わなくてもこの式だけで十分だと思うのだが。
εμc^2=1
高周波電磁気学の教科書で見つけたのだが、こんな記述がある。
「静電界においては磁界は関係ないから・・・」
といって
「マックスウェル方程式の磁界・磁束密度の項を省略して良い」
と説明している。
で、ポアソン方程式が導出されるのね。
これは考え方が間違っている。
静電気と磁気が関係ないことの証明を先にするべきなのだ。
証明できない限り、方程式は意味を持たない。
証明はまず無理であろう。
事実、静電気と磁気は密接に関係しているのだ。
スターダスト様:02/17:瑠璃さんへ、少しずつおはなしします。 −幕間−
|>すなわち電磁気学とニュートン力学の「結婚」です。
この結婚による最大の問題学問は量子物理かも知れない。
電子を粒子として角運動量方程式を適用したのが間違いの元かと・・・。
定常波が周期的に変動しているのをスピンと説明すれば良かったんではないかねぇ。
ここらへんは大橋正雄氏の「波動性科学」の分野だな。
|>結婚は時空の概念を変えるように強制しましたので
ちょっと捉え方を変えてみたらどうでしょうか。
視点を変えれば時空構造も変わります。
私達が普段認識している時空を時空Aとします。
地球光速度で移動中の観測者から見えるのを時空Bとします。
これらAとBを説明可能とする「時空」があるわけです。
それまでの理論を基準に考えると「概念を変えた」ことになりますが、
相対性理論においてはより客観的な概念に移行しただけです。
「強制」や「反対」は相対性理論が当然の如く認めているものです。
そんなもの(思い込み)を超えて相対的に考えられるか、とね。
|>電場で磁場がコントロールできるように
現時点で言えば逆です。
磁気が電気の原因です。(この場合は動電気=電流のことです。)
「磁気原動力」とは言いますが「電気原動力」とは言わないんです。
|>電磁場で、重力場がコントロールできるのなら!
そう考えることもできますが、重力場という考えは別に必要ありません。
2つの電磁場の相互作用が重力現象を生み出します。
|>質量無限大のトリックも回避されるでしょう。
質量無限大は、そう見なすかどうか、の話です。
重力の制御ができれば質量は有限のままでいいことになります。
C.Ito様:03/02:想念の伝わり方について
「生命と物質と超能力」読んだことがあります。
数年前の事なので正確に思い出せませんが、
「吹っ飛んでいる。コワレている。画期的だ。」(勿論、保守科学の立場から見て)
という印象が未だに残っています。
|>予め断っておきますが、科学的な根拠はありません。
|>これから、この直感的なイメージについて根拠を考えていきたいと思っています。
|>あまりに直感だけの考えなので控えていましたが、
|>スターダストさんから勧められ、書き込んでみることにしました。
面白いよなぁ。
いやね、今の科学だって科学的根拠なんか、なーんにも無いのよね。
全部数式とか理論をいじくり回した結果なのね。
じゃあ、その数式や理論を生む基になったのは何だろう?
「直感だけ」ではないんかなぁ。
「間違った仮説を立てよう」
そう言ったのは確か江崎玲於奈氏だったかな。
仮説を立てられない(立てようとしない)ことが問題のよーだ。
|>しかし、私はこの多次元球面というアイデアが気にくわないのです。
|>勝手に次元を多次元にすると言うことが全く気にくわない。
これも面白いよなぁ。
この場合の「次元」は科学的に定義されるものだ。
一方、精神世界の話で「次元」を持ち出す人は定義がズレてるのね。
ありゃあ、科学でも何でもないな。一部とも言えるが。
どうやら、認識できる3次元からはずれたものを
「多次元」なーんて言っているらしいのね。
必要無い物をすぐ想定するのは忍耐力の欠如だと考えられる。
心が科学的思考に飽きたってことだ。
じゃあ、どうやって考えれば良いのか?
円盤の推進原理とか磁気モータを考えれば良い、ってのがボクの意見。
無い物を考えるのではなく、既に在る物を考えれば先に進みやすい。
現時点での基礎原理は「あらゆる物に波動がある」ってこと。
ものによって違うんだけど、宇宙で共通した波動も持ち合わせているのね。
それが個性(その固有波動)を創っているわけ。
その共通した波動のことを面倒だから「神」って呼ぼう。
神が宇宙を動かしているのね。全てを同時に。
で、あなたが何か思ったとする。
でもそれはもともと神が思ったことだ。
内部の神は個人のものではなく、全宇宙に共通して一体のもの。
だから、どんなに距離が離れていようと、別の個性がその想いを受け取れるわけ。
神という1つのものを通じて通信ができるわけだ。
まあ、ここに書いたのは私見で、解読の結果でもある。
波動がどれくらいの速度を持つのかなんて、どうでもいいことでしょ。
速度が有限とか無限とか知る前に、存在に気付けば良いんではないか?
どこまでが科学で、どこからが宗教や哲学なのか。
ボクには明確な境界線が無いのね。分離する意味もわからんし。
全部直感とも言えるし、根拠はネガと足跡になるかな。
でも、ボクがこの文章を書いたときに意味が伝わっていると思うので、
安心してこう言います。
チャオ!(キチガイじみた発言なので逃げます)
ドライもん様:03/06:Re: ReReRe:つぶつぶ、あるいは、なみ、の伝わり方
|>物理学の教科書を開きながら「生命の科学」をひも解くことはできない
|>と思います。
物理学のテーマは生命や宇宙の探究です。
とすると、アプローチが違うだけだと感じます。
ただ、伝えられた情報が数式ではなかったというだけですね。(笑)
|>自然たとえば草花や昆虫は、愛する目で見るからこそ理解できる
|>のではないでしょうか。
|>もし、物理学や数学を持ち出して理解出来たとしても、それはもう、
|>死に物の知識に過ぎないのではないでしょうか。
物理学や数学はその論理性の為に未知なることを示唆する時があります。
たいていはそれを忌み嫌うかもしれません。
なぜなら、完全な理論に耐えられるほど精神が発達していないからです。
アインシュタインが晩年の書類を焼き捨てたのは、この理由によるのでしょう。
例えば科学が意識・生命・神などを証明したとします。
完全に論理的でどこにもスキが無かったらどうでしょう。
精神的に崩壊する人も少なくないはずです。
例えば、中途半端な宗教家は精神力が無く、論理に対して弱すぎる。
また、中途半端なフリエネ研究家は論理性が無く、感情的になりやすい。
ざらにあることですが。
ドライもん様:03/09:近隣惑星の科学
|>振動を捉えようとするとき、感受性によって個人差が出ます。
|>そこで、誰もが観察できるように、振動を捉える機械装置を作り、
|>科学的な分野に応用しているのではないだろうか。
感受性によって差があるのならば、
「誰もが観察できる機械」はどのような性質を持つ必要がありますか?
|>「原因」と「結果」を分離して、過去の文明と同じような悲劇を
|>繰り返さないために、科学的なことに挑戦する人たちこそ、最初に
|>この法則を理解する必要があると感じるのですが。
人間は皆科学者だと思います。
|>僕って、ここの掲示板では、ほとんど孤立状態?
意見が違う人を応援します。(なるべく孤立したままでいてね。)
他のいろんなサイトでは派閥(てゆーか徒党)対抗で議論しているとこもある。
わがまま言うようだけど、自分の意見が人と同じだったらつまらないのよね。
GAPってのは仲良しクラブをつくることでは無いと思うので、
私は平然と釈迦にも説法します。
いろいろ意見を出し合わなきゃ、いいもの創れないもんね。
|>現代物理学に、真っ向から挑戦しているのですから。
|>レスする人は当然、火の海の中に飛び込むことになります。
既に燃えさかる炎の中から見ているので、どうってことないです。あはは。
スターダスト様:03/09:Re:近隣惑星の科学
|>科学の全否定はダメです!
うん、それやったら信仰だよね。
逆に「生命の科学」の全肯定もダメ。
極端な立場は信仰と同じであり、客観性が無いってことだ。
常にバランスのいい位置にいてこそ、両方を天秤にかけられるのだ。
|>私たちは、全体への奉仕者です!。
残念。ボクはボランティアが嫌いでね。
全体の為にと考えると好奇心が無くなる。
だから失礼ながら、自分のために解読を続けます。
ドライもん様:03/11:Re:近隣惑星の科学
|>|> しかし、「正比例」の有効性についてはどうしますか?
|>|> これは、1+1=2の世界です。
|>|> 適用すべき対象を
|>|> 「全部」にするならば、それはドグマであり
|>|> 進化をさまたげます。
|>「正比例」の有効性には注意が必要でしょうね。
全く別の概念なので、比較する意味があるのだろうか?
「1+1=2」は「数」という概念の説明であり、
「1+1=3」は生命や現象の「発生」の説明である。
つまり「1」「+」「=」の意味は2つの数式で全く関係がないのだ。
「正比例」は「数」概念の数学の範疇であり、
「1+1=3」とは何ら関係がない。
それらが同時に成立するかどうかも問えるものではない。
ドライもん様の発言「生命の呼吸」には、
「生命力+生命力=2つの生命力+新しい生命力 」
と書かれています。おっしゃることはわかります。
しかし、この数式は「1+1=2+1」という構造になっています。
ここが正比例との矛盾を引き起こしているようです。
数式を解釈してみると、
2つの力が組合わさると(1+1)、その2つの力と(=2)、さらに新たな力が生まれる(+1)。
左辺は原因を示していますが、右辺は現象を表していません。
「2+1」という式では依然として原因と結果が混在しています。
現象をただ見た時に、何が原因かはわからないので「3」と表記するべきです。
この数式は、
『結果「3」があるとき、
原因のひとつを「1」、もうひとつを「1」と仮定する。
それを1+1=3と記述すれば、
「+」や「=」は何を示すのか?』
というシンプルな科学的思考法を伝えています。
結果を「2+1」と記述したら、「何が原因か?」を既に知っていることになります。
論理的に解くためには「3」と記述する方が妥当だと考えます。
何が原因かはわかっていないのですから。
このように「1+1=3」はそれ自体で完結している「原因と結果の法則」そのものです。
スターダスト様:03/11:Re:近隣惑星の科学
|>【答えが、ひとつだけ、機械的に求まる世界】
|>に慣れ切っていただけにね。
この話は全くその通りであって、
高校の時、私には数学こそが明快な学問であった。
なぜなら、確実に答えが求められるからだ。
ある意味「安心できるから」でもあるのだろう。
その後、ネガと足跡と足跡を解き始めた。
数学的直感では「2次元平面図はコンパスと定規を使えば解ける」と考えた。
しかし、そう簡単には正体を表さない・・・
これには、まいった。
数学を使って簡単に解けないものも存在するのだ!!
ご存知のように、地球のパズルは数学を使えば解けるものがほとんどだ。
昔流行ったルービック・キューブでさえ、群論からアルゴリズムを導き出せるのである。
宇宙からのメッセージを解くことで、よくわかったのだった。
「数学的な解法をつくるには、数学以外の手段をも使う必要がある。」
以後、私にとっての最大のパズルはアノ図となった。
・オッカムのカミソリ
「単純な説明ほど正しいものである」(結果を求めて)
「単純な質問ほど真理への鍵である」(原因を求めて)
2つの言葉が同時に成立するときに限り力を発揮する。
結果について述べたことが「オッカムのカミソリ」として知られる格言だが、
どうも私にはもう片方の言葉だけ忘れ去られたように感じている。
・興味の方向
実際目の前に「磁石だけでできた回るもの」があったら・・・
「謎解き」と「金儲け」。
どっちが良くて、どっちが悪いということはない。
だが、限界があるのはどちらだろう。
・蓮
仏教には蓮の花の上に仏さん(如来とか)が座っている絵がある。
あの蓮の花ってのは磁気モータのことじゃないかな。
蓮の花に乗りし光を背負うもの!!
円盤のことだね。
やれやれ、こんなこと書くとまた宗教家に怒られるなぁ。
・視床停止への宣言句
さんざん書いてきてわかったのだが、
批判非難茶化し文句などは書き続けると面白くなくなる。
良い・悪いという短絡的な思考にならないように面白がっていたのだが、
それさえなくなってくるとやはり興味は薄れてくる。
興味が無くなるということは、問題を深く捉えようとしないために、
もっともたちが悪いのである。
昔から「馬鹿は死ななきゃ直らない」というが、そんなことはない。
毎日毎日馬鹿な自分を見つけては認めている。
それを続けることでより深く思考できるし、
何がいったい馬鹿なことなのか選別できる眼を持つことができるようになるのだ。
しばらくこのような抽象概念を扱うことをやめ、
具体的な構造分析をしようと思う。