投稿者 スターダスト 日時 2003 年 7 月 14 日 17:30:58:
回答先: Re: 電子は自転したり公転したりするのでしょうか 投稿者 人間の限界ではない事は確か。 日時 2003 年 7 月 11 日 20:01:16:
予定が急遽変更になりまして、
また、書き続けております。
|> 電子は磁気能率を持ちますが、これは
|> 電荷の回転によるものではなく、
|> もともとあるもの、と考えるべきなのです。
15、なぜ「もともとあるもの、と考えるべき」なんですか?
この質問に回答するとトートロジーに
なりそうですが。。
電子内部に分布した電荷の回転によるものではないからです。
電荷には素量があります。これ以上は分割できない単位です。
これ以上細かい素量はなく、
(但し、後に建設されたクォーク理論をここでは考えていません。
本稿の範疇外だからです)
電子には、その素量が1単位だけ与えられています。
その素量がうすべったく電子内部にひきのばされて
分布している、、ということはありません。
回転しようにも分布しておらず回転軸も持ち合わせていない、
というモデルなのです。
|> 電子は電荷を持つことは天与の事実です。
|> これと同じ意味合いにて、磁気能率を持つ、
|> それだけのことです。
16、「天与の事実」とは何ですか?
説明をお願いします。
15への回答ではご理解いただけないかもしれません。
これは私の記述能力ないし理解不足によるものです。
電荷が何ゆえそこにあるのか、について明確に
説明しうる学者さんは地球にはいません。
電荷の原因について語れないのと同様、
電子が持つ磁気能率は、同じレベルで
電子に与えられている物理量でして、
電子の磁気能率は電荷の回転によるものでなく
はじめからそこにある、、という意味合いです。
>アプリオリな先験的な事実とでも言うのでしょうか?
実験的な観測により判明している事実です。
そして、何ゆえなのか不明ですので
天与という暗喩を使っておきます。
明喩ではありません。わからないのですから。
脱線しますが、「アプリオリ、先験的な」
という単語は「意識的に知った」という意味では
ないかと、久保田八郎先生が示唆したことが
あります。私はこの示唆を聞いた瞬間、
カントに対する評価が180度ひっくり
かえりました。余談はこれくらいにして。
>これでは、何も語っていません。
そうですね。より洗練されたモデルを
提示していないことは事実です。
ですが、量子力学をこの場で
持ち出すわけにもいかず、困っております。
>17、この場合の原子核や電子は
いちおう固体、固体状のもの
と考えていいのでしょうか?
私自身は全然思っていません。
ですが、固体状のもののように
あつかっている教育用映像がたくさん
出回っていますね。もしもそのような
描写だけに留まるなら、さらなる
理解の伸張をさまたげることでしょう。
ですが、このような描写のモデルは
一定の段階の理解を助けます。
>18、もし公転しているとしたら
何がそれを維持させているのでしょうか?
私は公転などしていないと述べていますので
ご質問の意味が不明です。しかし
もしも公転しているとしたら、
何かがそれを維持するまでもなく
古典論的な法則に従えば
ナノ秒の単位ではかるほどの
わずかか時間で全宇宙の原子がツブレて
しまい諸反応により放射線の大爆発が
発生することでしょう。
さて、量子力学までいかずとも
量子論レベルでお話しするのなら
電子が原子核に墜落しない理由に
近いことを申し上げられます。
電子が加速され(方向を変えられて
運動していますので加速されています)
その結果電磁波を放射してエネルギーを
散逸するという先の説明中の過程は
エネルギーの量子性によって
阻止されます。
別なモデルに従えば電子の物質波が
自らと共振し定常波になっていますので
墜落しません。
原子がツブレないことの説明は
いろいろありそうですが、これらは
電子が原子核の周囲を公転している、
あるいは「何か」が電子をして
原子核の周囲を回転させしめるよう
維持している説明にはなっていません。
質問18にあえて短いコメントを
つけくわえるなた、そうですね
詩的に言えば、
「神がしろしめしている」
ということでしょうか。
>19、ひとつの「学問」の
推論にしかすぎませんね。
完全に同意します。
そしてその推論は非常に役に立ち
携帯電話などに応用されています。
>人間の限界ではありません。
人間の知覚力は無限です。
同意します。
われわれは古いモデルを脱ぎ捨てる
必要があります!
日常生活における我々の生き様ですら
古いモデルをいっぱい持っています!
そしてその古いモデルを持ちつづける
性質が人間の心にあることも
私たちは知っています。
この性質を打破しない限り
前進はありえません。
古いモデルは捨てるべきです。
新しい体験から新しいモデルを
作りましょう。
習慣的想念を捨てましょう。