投稿者 住田一成 日時 2004 年 4 月 11 日 21:24:35:
回答先: Re:文字(書物)に残される久遠の一者の想念振動 投稿者 異邦人 日時 2004 年 4 月 11 日 20:12:04:
仏典というものは本来の釈尊の教えをゆがめて伝えることを目的としています。もちろんそういったことを望む人の想念活動の成果として存続して来ているとは言えるでしょう。
もちろん宇宙の中で失われるものはありません。
文字で伝えられるものはごく一部の情報だけです。
影のみを追いかけても仕方がありません。
「仏典とUFO」はすでに消えいってしまいました。
|> 文字(書物)に残された想念振動の寿命について考えてみると大変不可思議な現実に気付いてきます。人間の寿命はこの地球上では約百年に満たないものですが、その寿命の中でどれだけの人々の想念振動が文字や書巻として形や文化として何千年と言う歴史時間の中で残されてゆくものでしょうか?人間の持つ苦しみや悲しみについて多くの人々が生前生きていた時に興す個人的な想念振動の記録は譬え文字として残されたとしても、その個人としての文字が何千年の間に人々の意識の間に残されるということがあるでしょうか?そこには、その想念振動に普遍的な価値がなければ困難のように思えます。今日の社会に於いては印刷技術や書店市場の進歩により、多くの書物が出版社を通して販売されますが、書店の店頭に残ってゆく書物は、多くの人々の心を掴むベストセラーでなければ書店に残れず、またそのような書物であっても、購読の寿命というものがあります。また書店の中でその書物を店頭に置くためには、資金によって支えなければ多くの人々に購読してもらうことすら困難です。しかし現在では、すでにインターネットが地球規模で広がってネットワークの世界ゆえに、このような印刷技術の問題を超えて多くの人々が情報交換が可能な世界となっているのです。しかし、そのような情報伝達技術の進歩によって伝達される個人の想念振動の情報の中で、どれだけの個人の想念振動の情報が文字として形として何千年単位の歴史時間の中でこれから残ってゆくことでしょうか?
|> このことを考えた場合、今日の歴史時間の中で残っている宗教経典の存続の原因は、けして印刷技術の進歩やインターネットによる地球規模の情報伝達などの科学情報技術の力ではない、人間の意識の持つ作用であるということが解ってきます。つまり、その文字の中にある想念振動が、より多くの人々の意識に対して時間と空間と言う歴史時間を含めてその時代々の人々の意識に刻印をしなければ、何千年単位の歴史時間の中で文字(書物)として残らないということです。つまりこのことの推測の一つとして、はじめの教えの時に、より強い想念振動の世界があって、その想念振動に多くの人々が自らの意識に刻印がなされ、その振動が文字や記憶の伝承による不完全で断片的なものであっても、その文字の中に強い振動として残されていて、時間が経過しても、その文字の中に残される想念振動の影響を多くの人々が時間を超えて意識的に影響を受けてきたということではないでしょうか?つまり始めの想念振動の活動は、百年の生命しか持てないこの世界の人類の生命の想念振動の力よりも、長く強く大きくそして、断片的な文字の中にさえ残されてその想念振動はより多くの人々に影響を与えるものを持っていたと言うことなのです。つまりこのような想念振動の特色から推測できることとは、アダムスキーが母船の中で会見したマスターが述べるところの『久遠の一者』や『一なる至高者』(角川文庫UFO同乗記)から来る想念振動であれば歴史時間を超えて文字や言葉などの名称という形で何千年何万年何億年何兆年単位で残される文字や書物の世界があるのではないかという推測です。そのようなことで今後も時空間や歴史時間に超える『久遠の一者』の想念振動の問題を宇宙哲学を基にその意義を考察してゆく必要性があると思っています。