投稿者 異邦人 日時 2004 年 4 月 12 日 22:20:59:
回答先: Re:文字(書物)に残される久遠の一者の想念振動 投稿者 住田一成 日時 2004 年 4 月 11 日 21:24:35:
|> 仏典というものは本来の釈尊の教えをゆがめて伝えることを目的としています。もちろんそういったことを望む人の想念活動の成果として存続して来ているとは言えるでしょう。
|> もちろん宇宙の中で失われるものはありません。
|> 文字で伝えられるものはごく一部の情報だけです。
|> 影のみを追いかけても仕方がありません。
|> 「仏典とUFO」はすでに消えいってしまいました。
このようなことは、現実に出版の世界では現実であり事実であるのです。以前ある方が、アダムスキーの書籍を残すために、図書館に寄贈運動をされていることを知りました。出版社として今後、アダムスキーの全集を維持してゆくためには、それなりに資金的裏付けが必要であり、個人でその出版の維持をしてゆくためには、資金によって支える必要性があり、一人で多くのアダムスキーの書籍を購入して資金的に支えてゆくことと、その書籍を販売することが必要であり、そのような形で出版流通の中で支えてゆかなければ、いづれアダムスキーの書籍も再販されず古本屋やインターネットで貴重品として扱われてゆくことでしょう。『宇宙宝典』の書籍すら再販されていないのです。より多くの人々に想念振動が刻印され維持され持続されていかなければ、今後アダムスキーの再販もわからないのであり、その危機意識ゆえに、個人の資金によって支え、図書館に寄贈してゆく社会運動ということは、とても胸に響くものがあります。しかし、資金提供がなければ、個人としての行ってゆくことには限界があると思われます。久保田先生は、資金の問題が一番大変であったようなコメントを思い出しますが、現実にはそのような経済的資金的に苦労された結果として、私たちは、今こうしてアダムスキーの書籍がこの日本の社会の中で手に入れることができると思います。しかし、現実は時間と共にそのような大変な思いをして造られてきた書物であっても、出版の店頭からは消えてゆく運命にあります。今後、アダムスキーの書籍を支える基金が必要となってくるのではないでしょうか?たとえば、日本語の全集を韓国語や中国語などに翻訳するという事業的なことも必要ではないでしょうか?