投稿者 異邦人 日時 2002 年 11 月 21 日 23:55:15:
回答先: Re: アダムスキーを通しての倶舎論研究の必要性について 投稿者 住田 一成 日時 2002 年 11 月 20 日 23:04:24:
||> 「倶舎論研究の必要性」これは趣味の領域ですね。必要と思った人がすればいいでしょうが、アダムスキーとはまったく関係ありませんから、そのことだけははっきりさせてくだされば問題はないと思います。
新アダムスキー全集「UFO・人間・宇宙」1+1=3と言う始めの文章の中にアダムスキーは「しかし、私は団体というものを信用していません。協力ならば信用します。団体は発足する前から限定された状態にあります。団体化すると必ずだれかが干渉してきて、いつかトラブルが発生し、努力した結果は失敗するのです。・・・・・
しかし、各種の団体はUFOと別な惑星から来る訪問者に関する真実を広める責任があると思います。・・・・・これはカトリック教会プロテスタント教会、英国国教会のような大宗教団体ならやれるでしょう。これらの教会がUFOに関する声明を出せば、世界のほとんどの人が認めるでしょう。・・・・したがってどれかの宗教団体がUFO問題を取り上げてくれることを願っています。・・・・・・・」
もし、このようなアダムスキーが述べたところの啓蒙活動を私たちの住む日本の社会の巨大宗教団体の中に当てはめて考えていった場合、また日本の社会状況に当てはめて考えていった場合、いったいどのような方法論が可能となることでしようか?アダムスキーの持っている社会に対する展開についての方法論については宇宙哲学の中では具体的方法論が示されていないように思われるのですが、どのように人々にその社会の中で啓蒙してゆくのかという視点を考えることは無益なことではないと思われます。1+1=0とするか、1+1=3とするかは、個人の受け止め方の問題となってゆくことと思われます。しかし私たち日本人が、自国の仏教文化に対して考え方を限定化してゆく時に、1+1=0となってゆく方向性に自然と向かってゆくのではないでしょうか。アダムスキーは伝統的なキリスト教会はまったくこの問題に対して関係がないとは述べてはいないのです。むしろキリスト教会の人々が真実を受け入れることを願っている気持ちの姿勢が深く感じられて来るのです。けして断定的な想念や否定的想念が文章からは感じられないのです。またアダムスキー自身、宗教の中で必要な処だけを取り出してそうでない処は捨ててゆくという視点も持っていたと思われますが、伝統的キリスト教会を完全に否定する立場を社会的にもとらなかったと思われます。もしアダムスキーが日本の社会の中で啓蒙活動をしていたとしたら、アダムスキーは、日本の仏教の宗教団体に対して、全然関係ないと述べることでしょうか。別な表現と中庸的な方法論があるのではないでしょうか。そして社会に対しての展開は今後の課題なのかもしれません。
倶舎論は日本仏教の基本に共通して世界観であり、多くの仏教団体はその世界観の中に於かれています。またそれは日本の政治と宗教を支配する巨大宗教団体もその仏教の世界観の中に入っているのです。そのようなことで、もし倶舎論を通して新しい諸天観がアダムスキーを通して示されるのであれば、日本の巨大宗教団体を変化させてゆくきっかけを作ってゆくことにならないことでしょうか?