投稿者 異邦人 日時 2003 年 10 月 19 日 21:44:43:
2003年10月15日、中国が有人宇宙飛行船『神舟五号』の打ち上げに成功したという。新聞のコラム欄を読むとこの中国の宇宙開発の記事と現在の日本の社会の閉塞感を対比させて、日本人の精神や価値観のあり方に対して批判をされていたコラムがあって、大変ごもっともな意見であると感じたが、その筆者は、日本が宇宙開発が遅れている理由は、単に技術的問題だけではないという指摘をされていたことに、大変感銘を受けたのである。アダムスキーの問題を学んでゆくと、宇宙開発というものが、けして日本人が考えいるように商業目的に存在しているものではないということがわかったくる。ロシアにしてもアメリカにしてもそれが軍事目的で作られてきたものであるにしろ、人間が地球の重力圏から脱出して宇宙空間に出た時に、反対に宇宙が、そのような未進化な地球人に対して啓示を与え、宇宙的意識に目覚めさせようとする働きがあるということを、私たちは、これまでアメリカやロシアの宇宙飛行士の体験談より知らされており、その宇宙的意識を体験した宇宙飛行士の自然や生命に対する価値観が、少なからず、その地球上に住む国の社会の人々の意識に影響を与え、宇宙飛行士を通して、宇宙的意識がその社会に流れて出してくるのである。そしてそのそような宇宙飛行士の価値観・世界観はその国の社会体制を変革してしまう力を秘めているものと深く理解するゆえんに、国家がその社会体制の維持のために、宇宙開発の問題を統制してくるというXーファイルのドラマは、アメリカの宇宙開発と社会体制の問題を扱ったテーマとして考えることができるが、私たちにとって、この宇宙開発と社会体制の問題は、日本社会にはそのような問題意識そのものがないゆえにSFの問題として捉えているが、今回、中国が有人宇宙飛行に成功したことによって、宇宙と人間が現実に繋がり、宇宙的意識が社会の中に流されてくるという一つの切っ掛けを作ったと評価してよいのではないだろうか。そして推論として一国の宇宙開発には、必ず、その国に宇宙意識の働きが作用しているものと考えられないだろうか。インド哲学的に述べるので有れば、宇宙開発とは、ブラフマンと言う宇宙とアートマンと言う人間の相互関係性の問題の社会的技術的顕れかもしれない。それでは現在の日本には、宇宙開発の背後にそのような哲学的宗教的な高度な意識があるのだろうか?1400兆円の金融資産は、老後の年金問題と考えいる日本国民とは、宇宙的意識や進化からまったく縁を失った人々の集まりの社会と言えるのだろうか?