投稿者 異邦人 日時 2004 年 4 月 08 日 23:54:14:
回答先: Re:アリス・ポマロイ女史の振動感受能力 投稿者 住田一成 日時 2004 年 4 月 08 日 21:55:13:
私は、個人的にはアリス・ポマロイ女史の見解については尊重したと思っています。それはけして権威者とか高弟子であるということではなく、アダムスキーとこの世界で出会って、そして長い間共に仕事をともにされてきた方であるからであり、書物を通して学ぶ以上に直接彼と出会って過ごしてきた方であるからです。物事には書物を通して文字から学ぼうとする人と、人と出会って、その出会いを通して直接その人から話を聞いて感覚で学んできた人もいるということです。アダムスキーから感覚的に直接さまざまなことを学んだ人々は、書物から間接的に学んだ人に比べて、アダムスキーから直接受ける振動は前々異なっていると思います。その人と直接出会って話しを聞かなければ解らないこともあるのです。そしてこの人と人との出会いの人間関係にもカルマの法則があると感じています。人と人との出会いにも原因と結果の法則があるのです。そしてアダムスキーは、その過去の記憶を呼び覚ますようにと、アリス・ポマロイ女史に優しく接していたように思います。アダムスキーは弟子をとらなかったと述べられますが、アダムスキーが彼女に対しても様々なことを教示されていると思いますし、その教示されていることの中に自分が感じるものがあれば、そこに内面の繋がりが生まれてくるのです。そのようなことでアダムスキーと出会って、その教えを受けた人々は、アダムスキーの振動を受けて、過去の記憶の繋がりを感じた人々がいたことと思います。またアダムスキーの書物の振動を受ける人々は、みな過去において繋がりがあったということです。それを思い出しなさいということをアダムスキーは日常の生活の中で彼女に対してはタイプライターのことを通しても大切なフィーリングなのだよと教えているのです。この個人的フィーリングがなければ、個人の過去の記憶を呼び覚ます糸口を失ってしまうのです。ですからその呼び覚ますフィーリングは、個人個人によってみんその開くための鍵が異なっているということです。それは過去の生き方のカルマがみな異なっているからです。これは改ざんとかの解釈の仕方の問題ではないのです。フィーリングの問題であり、そのフィーリングに対して尊重するかしないのかは、個人個人の判断にゆだねることしかありませんが、それはあくまでもその個人の過去の記憶を開く個人的な鍵のフィーリングであって、そのフィーリングと共鳴する人以外には意味を成さないものであるのです。もともとそのような性質のものであり、そのような意味のものです。