投稿者 異邦人 日時 2002 年 11 月 12 日 00:09:49:
回答先: チベットに何故に留学をしたのでしょうか? 投稿者 異邦人 日時 2002 年 10 月 30 日 01:04:52:
|>東洋哲学の特に仏教との関係性についてコメントされている方は少ないととても感じるのです。アダムスキーは、その若い時に、チベットに留学に行ったということが、人生の初期にあるです。私は、一般の西欧人の若い人がチベットに留学にゆくということは、通常の発想では浮かんでこない進路方針であり、特にチベットと言えば、仏教と関係の深い地域であるのです。何故にチベットに行ったのか、そこに何か彼についてまだ知られていない、東洋哲学や仏教との関係性があるような気がするのです。
アダムスキーの宇宙哲学の中の宇宙的な世界観について、現実の日本の宗教や文化に接点を持って啓蒙してゆく方向性を考えてゆく場合に、日本の社会は、アダムスキーが生活をしていた欧米のキリスト教文化圏ではない以上、日本のこれまでの宗教文化についての深い関係性を持った上で啓蒙してゆかなければ、日本の宗教文化の領域においては、アダムスキーの視点は、結論的には、個人の人生観と価値観の問題に帰着してしまい、ある意味では個人の趣味の問題となってしまい、日本の歴史的宗教的文化的に広範囲に大きな影響力を持たないばかりか、日本の伝統的な仏教の世界に対して何一つの問題提起も起こすこともできない状況に落ちてしまうものと考えられるのです。アダムスキーは、巨大宗教団体に対しても、新しい世界観を受け入れをして科学同様に進歩しなければなりませんと述べられておりましたが、日本の伝統的な仏教の世界にたいして、その世界観においてアダムスキーの示した世界観がどれだけ影響力を与えてきたのか、現在たいへんに疑問に思うのです。たとえ、キリスト教的視点に立って述べたとしても、日本の社会にあっては、キリスト教人口は、人口の1%に満たないのです。この事実を考えた場合、日本人の視点としては、これまでの歴史的宗教的文化の中に根ざした啓蒙活動を考えた場合、アダムスキーと仏教の世界観の繋がりの研究の必要性を思うのですが、アダムスキー哲学を支持する人々の中で仏教との関連性を含めて研究をされている方は大変少ないようです。そのような中で山本佳人という方が「仏典とUFO」と言う書物の中で仏教の古い宇宙観である「倶舎論・世間品」の須弥山を中心とした諸天の世界観とアダムスキーの示した宇宙観を対比させて論述されていることに大変意味深いことであると感じざるを得ないのです。倶舎論で示す諸天は、地球を娑婆世界として、四天、三十三天、夜摩天、兜率天、化楽天、他化自在天、梵天とそれ以降も諸天の世界が示されており、著者は、この世界を、現代で表現すれば、惑星や太陽系、そして銀河系の世界を、さらにそれらを超えた巨大な世界を示していると書かれておりますが、この倶舎論の世界は、これまでの日本人が仏教信仰の世界の中で昔から持っていた古い世界観であり、この倶舎論の世界観は、今日のチベット仏教の世界、あるいは、一般のチベット人であっても、この倶舎論の世界観の中に身を置いて生きているという現実があるのです。それでは、この倶舎論の示す宇宙観とは、現代的にはどのような意味があるのか考えた場合、チベット仏教でも現代的意味については示されていないのです。そのような中にあってこの宇宙観の持つ現代的意義を私たちに具体的な事実をもって示してくれた人がアダムスキーであり、「第2惑星からの地球訪問者」であり「金星・土星探訪記」であると言えないことでしょうか。仏教的に表現すれば、諸天の来訪という表現が取れるのであり、現代において倶舎論の実体の世界の一部をアダムスキーが人々に示したということであれば、そして倶舎論の現代的意味が理解できるのであれば、この倶舎論が仏教を基本とする東洋民族の基本に横たわっている以上、多くの仏教文化圏の人々に影響を与え気付かせることができるのではないでしょうか。その意味でアダムスキーと倶舎論の研究が日本人によって勧められてゆくことを願いたいと思うのです。